勿論?・・丹波篠山五十三次・・雲部車塚古墳とある・・・
陵墓参考地・・雲部車塚古墳
五世紀初頭頃(古墳時代中期)に築造された前方後円墳である
墳丘の長さは140m、後円部は径80m、前方部は幅83m、高さ12m、盾型の周豪を備えいる。
外側に周庭帯をめぐらしており、独立丘陵からの尾根を切断して墳形を整えている。 陪塚と呼ばれる従属古墳を墳丘の両側に配置するなど非常に整った前方後円墳として知られている。
明治29年(1896年)後円部より竪穴式石室が発見され内部に長持型石棺が納められ、朱が塗られた様子が明らかになった。
出土遺物には甲冑や刀剣、槍などの鉄製品が確認されている。
している。 被葬者は、崇神天皇のころ四道将軍の1人として派遣された、丹波道主命との説話もあり、宮内庁より墳墓参考地に指定されている。 しかし、現在5世紀の築造で、国造級の墳墓との推定が一般的である。 いずれにしても、大和と山陰方面を結ぶ重要地域の篠山盆地に大勢力を誇った集団が存在していたことを物語るものである。・・・案内板及び丹波篠山五十三次資料より「引用
この地域が縄文時代からいろんなことに出くわすのは、大変、魅力的なところなのでしょうね!
自然に包まれて、天気の良い日に車の往来も少なく、「ブラリ、のんびり」・・と走るのも楽しいものです!!
中井権次の足跡を巡る・・を続けましょうか!!
追記:訪問日 4月23日
先日、NHKで明治の森??計画・・ちょっと不明m(_ _)mを視ました
150年計画で、人間が計画的に植樹してその後は一切、手を加えないで自然に任せ、森を造る・・
いや、見事でしたね・・古墳も、今は立ち入り禁止ですから、自然の宝庫ですよね!
先日、訪れた、仁徳天皇陵も、そりゃ、すごい森でしたから・・・・うん?・私感です!
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