もちろん、参拝します・・・
当櫛石窓神社は、天照大神の天の岩戸隠れの折、御門を守った櫛石窓命・豊石窓命の二神を祀る神社で、皇室神秖宮西院に御門神の根源の本社として御鎮祭の神徳広大にして延喜式名帳に見える明神大社である・・・「丹波の国大芋の大宮」ともいう・・・案内板より引用 |
社殿の後方にある高さ約30mの丘は宮山と呼ばれ、頂上付近には巨岩が三個あり宮山には神名ぐで、巨岩は岩座です。山や巨岩など、神が鎮座されるという古代の信仰をそのまま伝えています。御神体の櫛岩窓命座像、豊石窓命座像、大宮比売命座像は皆、国指定重要文化財です。・・・一部省略・・・もと大芋荘など四十八ヶ村の総社で兵庫丹波唯一の明神大社です・・・写真左:案内板より引用 |
歴史・・・Wikipediaより引用・・・
文献上の初見は『新抄格勅符抄』大同元年(806年)で、丹波国の櫛石窓神に神封五戸が充てられている。また『延喜式』神名帳では丹波国多紀郡に「櫛石窓神社二座 並名神大」と記載され、二座として名神大社に列している。
中世には「大芋社」と見える。また、応仁の乱ののち度々戦火に遭い、永禄十年(1567年)に再建された。しかしながら天正年間(1573年-1592年)に明智光秀の兵火で全焼し、社領もほとんど没収されたという。
近世の造営を伝える棟札には、寛文三年(1663年)の本殿造営時、安永四年(1775年)の拝殿造営時のものがある。近世には「櫛岩窓大明神」と呼ばれ、「大宮寺」という神宮寺もあった。明治六年(1873年)、近代社格制度において村社に列し、明治三十七年(1904年)に県社に昇格した・・・と、ある!
奥に本殿が見えますが、ブロック壁、高く覗けません・・・
なにか、近づきにくい神域という感じです!
大芋地区・・マンホール、久しぶりにパチリです・・・いい感じのデザインですね!
格式の高い、櫛岩窓神社・・・社殿の側には「福井」という霊泉があるとのこと・・付近の地名の由来ともなっている・・
そうか!・・・水がいいのか・・それでかな?櫛岩窓神社の隣は、日本酒メーカの「大関」の工場があるよ!!
そして、拝殿前に、菰樽が奉納されている・・勿論、大関!
さぁ、中井権次の足跡を巡る・・・続けましょう!!
追記:訪問日 4月23日
0 件のコメント:
コメントを投稿