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2024年4月19日

現役最古の木造航路標識 今津灯台が移設されました

兵庫県西宮市の今津灯台が移設されました
早速、出かけていきその場所を確認いたしました

下図、青矢印が移転先を示します



経緯
2016年(平成28年)3月、灯台の沖合において、兵庫県が策定した「津波防災インフラ整備計画による「新川・東川統合水門」の建設工事が着工
それに伴い、大関が灯台として継続使用するための移設を検討し結果、約160メートル南西に位置する西宮市今津真砂町の対岸に移されることになった

2023年(令和5年)9月1日、台船でまず南西約160mにある対岸の仮置き場へ上部の木造部分が移設された。その後、基壇(底面約3.5メートル四方、高さ約1.6メートル)を構成する91個の石に番号を振って移設先に石積みが再現された。さらに灯台の木造部を基壇に固定する4本の石柱(長さ約2.5メートル)も3Dスキャナーにより同じように配置された]。そして、12月19日に灯台(木造部)が再設置された。再点灯の時期は2024年(令和6年)2月初旬の見込みだったが、基壇解体時に想定外の基礎が見つかったため、2024年3月末から4月上旬となる見通しとなった
(Wikipedia、西宮市より説明引用)



新位置、今津灯台
今津の酒造家「大関」醸造元、長部家五代目の長兵衛によって、今津港に出入りする樽廻船や漁船の安全を願い、文化7年(一八一〇) に建てられた灯明台が「大関酒造今津灯台」の起源です。その後 六代目文次郎が再建、台石の「象頭山常夜燈」は海の守り神金毘羅宮を表し、この高灯籠様式の灯台に、今津の人びとは深い親しみと 郷愁を感じています。この灯台は今も現役で活躍しており、市の文化財指定を受けています。新川・東川統合排水機場の整備に伴い、令和五年(二〇二三) 対岸から現在地へ移設されました。


宮水と酒文化の道
酒香る 西宮郷 今津郷

樽廻船に江戸積みされた酒
上方で船積みされた酒が江戸に到着するまでの日数は、江戸時代初期には平均3週間から1ヶ月かかっていましたが、 幕末期には、樽廻船と四斗樽で、 通常1週間ほどで運べるようになっていました。 それが新酒番船となると、早い場合には3~4日ですから、この間に10倍も速くなったことになります。
江戸の品川湊、佃島沖に碇泊した樽廻船から、酒は伝馬船に積み替えられて、霊岸島、 茅場町、新堀、新川に集中していた “下り酒問屋”に運び込まれます。 酒問屋は、 桝酒屋 (小売り酒屋) の注文に応じて、酒を売っていました。 新川 付近には、今でも酒蔵のオフィス があり、当時の酒蔵の “力”を感じさせてくれます。





灯質は従来の緑色から左岸を意味する赤色に変更された

「象頭山 常夜燈」

願主 六代目長部文治次良

文化七年(1810)建之 安政五(1854)再建


この灯台は、当会社の前身長部本店の第五代展部長兵衛が今を去る百五十五年前、文化七年(1810年)大坂谷町奉行所の許しを得て私財を投し、灘酒廻船などの出入船の航海安全のためこの他に建設。第六代長部文次郎が、安政五年(一八五八年)再建するなど代々その遺志をつぎ灯台の維持管理につとめ今日及んだ。しかしながら 長年の風霜を経た上に、灯台付近の環境に著しい変化をきたので、第十代長部文治郎が復元を志し、基盤の地上げ 櫓の補強などの工事を施し、今日その竣工をみたたものである
    この灯台が久しく公衆に利益を与えてきた功績により 明治十七年(一九八四年)第七代長部文治郎に?授?集賞と銀盃が?賜された
昭和四十年十一月一日、大関酒造株式会社


「新川・東川統合水門」

その新川・東川統合水門のそばに「今津砲台跡」
幕末の頃、国防に不安を感じていた江戸幕府では勝海舟の建議を取り入れ、文久3年(1863年)、大坂湾の海防のために和田岬砲台、舞子砲台、西宮砲台などと共に砲台の建設が開始された・・・Wikipediaより


うすい しんとう・・・これは新しい灯のことかなぁ? それとも、浸透?

無事に移転できたよかったです
この地、この界隈は、青春の思い出の地でもあります

この地に立つと遠い昔、青春時代の思い出がが蘇ってきましたね












2024年4月18日

2024年 有馬川の桜です

2024年の桜見物で、有馬川を外すわけにはいけませんね
朝のウォーキングでも歩く川沿いです

川にかかる橋上からの一枚ですが、左側から朝陽です

橋を渡って・・・



毎年くぐる、桜のトンネル



お!   ツツジです

この老木も元気で花をつけています





振り返って北側、上流を・・・

有間川も桜見物は、ここで終わりです


2024年も見事な桜を見せてくれました
2025年も期待できますね










2024年4月17日

河原町妻入商家群 の通りを歩きます・・・ 兵庫県丹波篠山市河原町

兵庫県丹波篠山市河原町177-1 河原町妻入商家群の町並みを歩きます


この桜も満開です

国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、約600mの通りに沿って続く、歴史的景観


川端家住宅
川端家住宅は明治時代前期に建てられたもので、木造2階建、入母屋、桟瓦葺、平入、塗屋造白漆喰仕上げ、2階道路の開口部は虫籠窓、1階は真壁造り下屋庇が付いています。敷地間口が広く、篠山市で珍しい平入で道路側には主屋の他土蔵や庭園が取り付き格式を感じさせてくれます。川端家住宅は明治初期の大型町屋建築の遺構として貴重なことから篠山市指定文化財に指定されています。


骨董品店

      骨董品店にあった、どこかの神社の脇障子、銘はなし

同じく、どこかの神社か、寺院の蟇股の波彫刻


見事な「うだつ」
妻入りの建造物が並ぶ通りに、ちと異様な建物って感じかぁ?
建築時代が違うかも?



妻入商家が並んでいます


小林家住宅
小林家住宅は明治12年(1870)に建てられたもので、主屋は木造2階建、切妻、妻入、桟瓦葺。外壁は塗屋造、白漆喰仕上げ、2階には虫籠窓の上に小庇、外壁両端には袖ウダツ、1階には下屋庇に格子戸が付いています。敷地の間口が広い為、主屋に隣接して切妻、桟瓦葺、平入の建物が取り付き格式の高さを感じます。小林家住宅は町並みの景観を構成する貴重な要素の1つとして貴重なことから篠山重要伝統的保存建造物に選定されています


いつも「P」している市営河原町駐車場が、新しくなっていました

今までは、箱の中に料金をいれていたのでが、これから、きっちし時間経過で料金徴収ができますね

久しぶりに歩いた「河原町妻入商家群」
たまにはぶらぶら歩くのもいいかもです

それにしても空き家が「HOTEL」になっていますね
丹波篠山市は「HOTEL」化は多いですけどね