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2015年9月27日

本行寺・・生野町口銀谷、寺町通り、中井権次一統の足跡を巡って!

本行寺・・生野町口銀谷の町を散策して、寺町通りを歩きます・・・
旧鉱山住宅の前に、本行寺があり、なにか、気になり・・・フラッと入ってみました・・・

本行寺・・・朝来市生野町口銀谷の寺町通りにある八ヶ寺の一つです

本行寺・・・宗派は日蓮宗

このお寺には、生野鉱山の発展に尽くしたフランス人鉱山師ポール・レルムの娘の墓

民俗学者の柳田国男の祖父、生野で医師、学者で活躍した真継陶庵の墓

宝暦三年(1753年)から六年(1756年)にかけて赴任し名代官と称された岩佐郷蔵の碑があると・・・・・・案内板より引用

山門の力士の彫り物・・・うん?・・これはもしかして?・・・期待できます

本堂です・・
おおぉ、・・見事な彫り物があります・・・

さぁ、ゆっくり拝見しましょうか・・・

龍の背面を・・・おおぉ、刻銘がありました・・・
「丹波国氷上郡柏原町 彫刻師八代目 中井権次橘正胤」・・・と!・・(赤四角部分)
なんと、いうことでしょう・・偶然拝観させていただいた本行寺・・・中井権次の足跡だったのです!
本堂、左側の木鼻、持送り・・お見事です
本堂、右側の木鼻、持送り・・
手挟み、持送り
持送り・・・お見事です

本堂右手のお堂・・
お堂の向拝・・
山門の木鼻・・・
木鼻・・・

トロッコ道を歩きたくて来た口銀谷で、中井権次の足跡に巡り会うとは・・・素晴らしいことです・・

そして、備忘録を記するとき、ググってみると・・
本行寺から6軒隣にある、浄土宗の寺院の東西寺・・・ここにも中井権次の足跡が・・・

東西寺・・・徳川家康の尊像と2代から14代までの徳川歴代将軍の位牌が祀られています。生野 銀山は江戸時代、幕府の直轄地であったので、元和2年(1616)、徳川家康の没後、当時の銀山奉行であった山川庄平衛が家康公の菩提を弔うため、お堂 (東照寺、後の玉翁院)を建てたことが始まりとされています・・ 刻銘は「彫刻師 丹柏住 中井清次郎橘正實」とある・・・・・中井権次の足跡より引用

残念なことです・・・まぁ、下調べして訪れていないのが、原因です・・!
一カ所あれば、必ず、近所にあるかも・・・iPadを使い、ググりましょう・・・

いや、よかったです・・・(*^_^*)

訪問日:9月11日












2015年9月26日

生野町口銀谷の町を歩きます・・・第二部・・兵庫県朝来市!

生野町口銀谷の町を歩きます・・・第二部です・・・

鉱山住宅、志村喬記念館を拝見?いたしました・・・
次は、寺町通りを歩こうと・・・鉱山住宅の前の本行寺を訪れます・・・


本行寺の山門をくぐり、本堂の前に立ち・・・うん?・・これは!・・・そう、中井権次の足跡があるお寺でした!! ・・わぉ・・・ビックリです!
この付近の情報を調べてこなかったので・・・では、本行寺は、別途後日、備忘録は記しましょう・・(*^_^*)

、桑田家住宅・・・国登録文化財
江戸時代後期に建築された旧地役人邸宅

中二階で煙出しをもつ母屋は大きな門や周囲を取り囲む白い漆喰土塀とともに重厚な雰囲気があり、土塀には江戸時代の「カラミ石」がつなぎに使われています・・・中略・・

土塀の生野瓦は江戸時代のもので、母屋、蔵などは甲社宅と同じ新しい瓦です・・・
・・・案内板より引用
瓦の色合いが年代の差なんですね!

桑田家は、屋号を「玉屋」と称し、金融、買吹、山林業、薬の販売業を生業とし、八代目松五郎は地元有志と生野信用組合うを設立、その後現在の但陽信用金庫へ引継ぎ、今日に至ると・・・

そうか、それで、この街には、但陽信用金庫の関係の・・そりゃ立派な建物があるのか・・・
そして、生野街道沿いに 但陽信用金庫職員専用ゴルフ場を発見しました・・・いや、すごいすね!


旧生野警察署・・・朝来市指定文化財
この建物は、明治十九年(1886年)八月生野警察署として建てられました 明治初年の建築様式が残された建造物です

また、正面から見上げる煉瓦には警察紋章が、その下に元の町章も残されており当時が忍ばれます・・・

現在は一区公民館として利用されています・・・案内板より引用 ・・・


・・・ええなぁ、公民館か!  こんな公民館だったら、中に入れるし、歴史好きはたまりませんなぁ!
地元の大工が異人館をまねて建てた左右対称の擬洋風建築と・・・

今井家・・国登録文化財
明治時代中期に建築された大山師邸宅の別荘

大阪出格子に区切られた西面の板張り、白漆喰塗りの壁の落ち着いた伝統的な佇まいと、一種独特な雅な風格と品格を備える風貌です・・と・・・案内板より引用


今井家は但陽会館、但陽美術館などに取り囲まれていますね・・・中央の民家が今井家!(ちょっと写真が小さかったかなぁ!)

生野書院・・・材木商の邸宅を改修した郷土資料館・・・ちと、時間の関係で、前を素通りです・・
この北側にも大きな観光者用「P」があります!・・もちろん、無料です!

松本邸・・・国登録文化財
旧松一醤油店邸宅として明治時代後期に右側の建物が、大正時代に左側が建築されました。

右側の古い建物には、袖壁があり、その下に大阪出格子、内側に飾り石を置き、左側にの大正期の建物には、洋風建築に見られる軒蛇腹が施されています・・・・・・案内板より引用
軒蛇腹がを中心にパチリしてしまい、他の特徴が写っていない・・(^_^;)

いよいよ、トロッコ道を歩きます・・・
ここまで、上からしか、見ることしかできなかったのですが、絶対トロッコ道を歩けると・・探しました!

この民家の路地を入ったところが市川沿い、そう、トロッコ道です・・・(*^_^*)
大正九年(1920年)、金香瀬坑道から支庫(旧生野駅)までの市川沿いに鉱石輸送のため電車専用道が建築されました
昭和三十年(1955年)飾摩港までのトラック輸送が始まるとトロッコ道のレールは撤去され貨物支庫も廃止となりました・・・・案内板より引用

写真下・・・このトロッコ道の行く先の一軒の民家の庭の木、草がが生い茂り、通行不可・・
これが無ければ・・ずっ~と、市川沿いに歩けるのに・・・残念ですね!
トロッコ道のアーチは日本の近代化における土木建築としての価値が評価されています・・
トロッコ道を歩く・・・目標達成です!・・・Uターンして戻ります・・・
市川を渡る・・・パイプライン・・・結構古いよ・・

佐藤家住宅別邸・・・国登録文化財
江戸時代に郷宿として掛屋を兼務した建物で、住宅建築としては珍しい重厚な土蔵造りです
外観は開口部以外は漆喰で塗られている玄関や二階の窓、屋根にある越後屋根など多くのデザイン要素が建物右側にまとまって配置されています
一階壁面は腰高付近まで焼き杉張りで、全面には大阪出格子が設けられ飾り石が置かれています・・・案内板より引用

きれいに修復されていますね・・・国道429号、生野支所もあるメイン通りです・・

口銀谷の交差点・・・信号、此処にしかなかったように思えるのだが・・・?

生野の汚水マンフォール・・・
デザインは・・・
・・町の木ドウダンツツジ
・・生野銀山の金香瀬坑口
・・町の花リンドウ
・・魚ヶ滝

・・・という、デザインとのこと!


これで、口銀谷町並みは、主たる部分はぶらり拝見しました・・・そして、トロッコ道もその道を歩きました・・
他にも、生野駅近辺に国登録文化財の建造物が数カ所ありますが・・・今回は、これまで・・・(*^_^*)


追加として、ここまで来たのだから、生野銀山の入り口まで、走ってみます・・・
写真下、銀山入り口です・・・「P」よりパチリです・・・誰もいません・・そりゃそうでしょう、もう、17時前ですから・・・閉場やね!
・・・また、来ましょう・・・


予定外の朝来市生野、口銀谷町でした・・・「P」、トイレなど、よく整備され、ゆったり町を散策を楽しめました・・・そう、観光客が少なかったのです・・・

次回は、今回、入っていない資料館、まだ訪れていない国登録文化財建造物など、拝見したいと思います・・・(*^_^*)



訪問日:9月11日





2015年9月25日

生野町口銀谷の街を歩きます・・・第一部・・兵庫県朝来市!

生野町口銀谷の街を歩きます・・・姫宮神社で参拝をし、神橋からトロッコ道を見て・・・
生野町口銀谷の街をブラブラ歩きます・・・ただし、それぞれの建物は外見だけで・・

姫宮橋(神橋)から市川沿いに歩きます・・・写真下の色のついた道を歩きます・・・
口銀谷銀山町ミュージアムセンター 旧淺田邸・・・
・・・入ってみます・・・
浅田邸は江戸時代から代々続いた地役人で、明治時代には生野鉱山とともに、生野の近代化に活躍したと・・
旧淺田邸の庭より姫宮橋、神社参道が見えます・・・宮司さんの車が幅の狭い橋を渡っています・・(^_^;)

旧淺田邸の庭より下を覗いた・・トロッコ道・・・なかなかです!
生野クラブ・・・

明治十九年(1886年)、大山師の邸宅として建てられ、明治二十一年に有栖川宮親王が御宿泊された部屋も現存すると、・・・

昭和三十一年(1956年)に三菱が買上、会社の保養施設、迎賓館として活用され、今も職員に利用されていると・・・案内板より引用
内部は入れませんので、外観を・・・漆喰の白壁がきれいですね!

姫宮神社の宮司さんにお聞きした国道429号を進み・・「山神社」へ向かう途中に・・・
生野鉱業所消防自動車庫・・・現役ではないでしょうが・・奥は木々が繁っていますね!
姫宮神社の宮司さんにお聞きした「山神社」・・・鉱山の山師が崇めた神社です
国道429号から山神橋を渡ります・・
実は、この橋の向こうから太盛山をみると、山の中腹に明治32年に造られたカラミ石造りの排煙塔が見えます・・・なんということか!・・忘れていて、見てません・・・(^_^;)

草繁り、あまり訪れる人もないように見受けられますが・・・
拝殿・・・
この奥深い神社にも千社札・・・これって、参拝記念はわかるけど、私的にはやめてほしいです!!
本殿・・・

さぁ、口銀谷街にもどります・・・


国道429号沿いに・・・鉱山住宅・・の眺めです
旧生野鉱山職員宿舎・・・
官営生野鉱山に勤務した日本人官吏のため和建築の官舎で四棟が現存・・

その内三棟が明治九年(1876年)に建てられました、日本で最初の社宅ではないかと・・・案内板より
カラミ石でできた、塀・・・いや、すごいね!
俳優、志村喬記念館(志村喬の生家跡)・・・が、あり、高倉健さんも来たと・・・案内の方が話されていました!

生野町口銀谷の街も備忘録、記するに長編となるので、一部、二部と分けます・・・m(_ _)m

では、二部へ続きます・・・・

訪問日:9月11日