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2016年6月30日

甲賀山、麓の神社・・・兵庫県丹波市氷上町成松!


丹波市役所から大護神社へ向かう途中の甲賀山の麓には、公園があります・・・
その公園には・・大護神社、愛宕神社、えびす神社、八幡神社が祭られています


丹波市役所、西・・甲賀山公園・・・
甲賀山は高さ約60m、昔、甲賀忍者がいたとされる・・八十八ヶ所巡りができる参道もある、信仰の山・・・・山麓には、大護神社、愛宕神社、えびす神社、八幡神社が祭られ成松の誇る遊園地である・・と!!
・・・案内板より引用

えびす神社・・・
祭神:蛭子大神
明治二十三年二月二十三日西宮大社の分霊を迎え奉祀す
以来町内はもとより近隣多数の人々に親しまれ信仰を集めている


愛宕神社・・
祭神:雷神
古くは堂之場の愛宕灯籠前に祭儀を行った
元禄、宝永の頃近郊に飢餓、当町に大火災があり、有志が京都愛宕神社本宮に参詣祈願し災をの免れ、以来その分霊を迎え区内各町に愛宕灯籠を建立、奉祀す<br />愛宕祭りは近隣最大の夏祭りである

八幡神社・・・
祭神:誉田別命
弘化三年(1846年)三月領主稲葉若狭守の祈願所として領内八ヶ所の要請にて京都石清水八幡宮の分霊を迎え奉祀す

白菊稲荷大明神、白瀧稲荷大明神・・・


大護神社へ向かう遊園地を歩くと・・これだけの神社が鎮座しています・・・
ほんと、この甲賀山は信仰の山だったようですね・・・

その甲賀山・・遠くからみると、頂上付近には、なにやら、建物がみえる・・・水道施設らしい・・
そして、山には樹齢数百年のケヤキやクヌギの大木が自生しているらしい・・・

まぁ、甲賀山にの登山は・・・またの機会に・・・・・(^_^;)


参拝日:6月2日









大護神社・・中井権次一統の足跡を巡って・・兵庫県丹波市氷上町成松!

兵庫県丹波市氷上町成松、大護神社・・・中井権次一統の足跡を訪れます
そして、大護神社社殿は、氷上町指定文化財でも、あります



丹波市役所から、甲賀山の麓を歩いていくと、大護神社、社頭です


鳥居の神額も彫物が施されていますね

城壁みたいな、石垣ですね・・・ちと、石段がずれかかっています・・・歩行、要注意!

拝殿が見えてきました

拝殿

拝殿にて、参拝を済ませ・・社殿拝見のため、左方向へ・・・
そこに説明板が・・・じっくり読むと・・・おおおぉ!・・・これは!!これは!!

氷上町指定文化財 大護神社社殿
天之御中主命を祀る
創立沿革の詳細については不明であるが、元禄十二年(1699年)に再建され、天保九年九月(1838年) に京の長谷川佐多郎(棟梁)と柏原の中井権次(彫物師)によって改築されたものである
社殿の全体細部に透彫り・籠彫り等による数々の彫刻を施し、欄間・向拝虹梁等には龍の彫刻を配している
向拝水引虹梁には蟇股を入れず、老松の透彫りを全面に充当している
屋根は入母屋造で軒先は出唐破風となり、獅子面の彫刻がある
天井には躍動的な龍の彫刻が施されている
・・・案内板より引用

本殿・・・入母屋造で軒先は出唐破風



どうです・・・この彫物群!! 圧倒されますね・・・手挟み、木鼻、持送り
本殿・庇、唐破風・・・向拝下、暗いのです

本殿天井の龍・・・・凄いです! 
・・・この龍の写真だけでも、10枚以上、あります・・・暗い、ピンボケ、手ぶれ等々
・・・真上向いて、アングル変えて・・・パチリです!  難しいです・・(^_^;)


この龍の刻銘は、「皇都彫工 長谷川佐市郎 丑延」・・と

向拝水引虹梁には蟇股を入れず、老松の透彫りと、あるが・・・
・・・写真は、このアングルしか、とれなかったよ!・・(^_^;)


左、脇障子

刻銘・・・本社 彫物師 柏原住 中井権次橘正貞・・・六代目ですね!

右脇障子

刻銘・・・青龍軒正貞 彫刻




高欄、縁葛下の腰組の彫物・・・兎ですね!!



この大護神社・・・実は二回、参拝いたしました・・・なぜか?
天井裏のあの龍が、SONY-RX100、いまいちで、 ピンボケ気味だったのです
そう、Panasonic DMC-FZ1000ぶら下げて、再度、撮影です
・・・今回の備忘録には、写真は混在しています・・・

今年に入って参拝した、中井権次一統の足跡の中でも、最も、すばらしいものと思います
これだけの彫物を・・「どやっ!」・・って、「リキ」、入っていますね!

そして、天井の龍を、棟梁、長谷川佐多郎の縁者、長谷川佐市郎が彫るというのも、そこになにかしらの関係がありそうな・・・
・・・そんな事を想像するのも楽しいですね・・・!

こんな素晴らしい社殿を、拝見できて、ホント、よかったです
叉、来ると思います・・・いや、来ますね・・・(*^_^*)



参拝日:6月2日 6月15日





2016年6月29日

高座神社・・・綿貫重吉名照の狛犬‥兵庫県丹波市青垣町東芦田!

兵庫県丹波市青垣町東芦田、高座神社・・・中井権次一統の足跡は備忘録記しました

過日、北山稲荷神社で、石匠、難波金兵衛から、丹波左吉へ、そして、その弟子、綿貫重吉名照、その弟子が森田藤四郎と記しました

ここ、高座神社には、綿貫重吉名照の狛犬がいてはるのです
そう、ひと目見たとき・・・うん?綿貫重吉名照では?
‥ピンポン、いい感していますね!

拝殿前に














境内に掲載されていた、山内順子先生の論文からという~「こまいぬ」

高座神社のこまいぬさん

昭和六年(1931年)小寺氏の長寿を記念して奉納されたもの・
綿貫重吉(あるいはその弟子森田藤四郎がこの銘を刻んでいた)
こまいぬさんだけではなく、一見無骨ながら平滑面と凹凸面を自在に使い分けるといった凝った玉垣も製作

材料は、柏原で産出する新屋石を使っています

尾の数は6本、左右対称に三本ずつ長く広がります
尻尾に透かしを入れるのは丹波左吉の技の継承でしょうか
さらに、ここでは尻尾の上や前足の下で小さな子供達が楽しく遊ぶ姿が表現されています
こまいぬさんのルーツ・・

最近では、左右対称一対を総称して「こまいぬ」といいますが‥
本来は、向かって右が「獅子」、左が「狛犬」です
さて、獅子、狛犬は最初から神社の参道にいたわけではありません
参道に置かれるようになったのは、江戸時代になってから

~中略~

日本において「獅子、狛犬」は平安時代までには・・・
‥別々の動物を一対のものとして‥
‥神さまや、高貴な人を守る、巡航路を浄める役割を持ち
‥高麗楽などともに異国から伝来した?認識されていたと、言えると思えます


いや、なかなか知り得なかった、こまいぬさんのルーツなどを知ることができました・・ね!
先人にも、狛犬さんだけのブログもあります‥勉強させていただきます‥m(_ _)m



参拝日:6月2日





高座神社・・・中井権次一統の足跡を巡って‥兵庫県丹波市青垣町東芦田!

兵庫県丹波市青垣町東芦田、高座神社・・・中井権次一統の足跡を訪れます


写真下の畑、畑~ この右手に、鎮座されています、このような景色、丹波市、いいすね!
社頭‥(社務所、工事中)
石造りの鳥居・・・正徳二年(1725年)の刻銘がある
どこか、波打っている石段・・・右は、社務所へ

拝殿

拝殿・・・めちゃ、存在感がつよいスね

この拝殿は奥に長いのです

唐破風の向拝 龍が一体

そして、拝殿内の戸の隙間より、パチリすると、奥の梁の上に、二体の龍がいます
合計、三体の龍がいてはります・・・  隙間からの写真が、これが限度です!

狛犬君が見えますね

本殿‥
間口二間半・奥行き一間半余り、四方に廻嫁がある大宮ツマ造りといわれてると
本殿


御由緒
御祭神
大日霊尊(犬照皇大神・伊勢内宮鎮座にて国家安泰)
天児屋根命(春日大神・国土経営・諸業繁栄・家内安全)
経津主命(香取大神・外交の神・災難除け)
武甕槌命(鹿鴫大神・勝運・戦勝・交通安全)
仲哀天皇(日本国の開国安定・慈愛の神)

 当社は人皇十四代、仲哀天皇(今より千八百余年程前)にお祀りになられた御社で、天皇が中国地方の穴門へ行幸の前年 にこの地方の村民が流行病で難渋しているのをご心配になられ武内宿禰をお供としてお見舞いになり、この社に参拝され 「病気平癒」を祈願され、お宮の名前を高座(たかくら)と名付けられました古社であります。 以前は高座谷にありましたが寛文十年(1670年)にこの地へ遷座されました。 延喜年中(901~923年)当郡式内社第一に列せられ弘仁四年(813年)嵯峨天皇より勅額を賜りました。 しかし、古記・宝剣・勅額等は弘化三年(1846年)別当観蓮失火のため惜しくも焼失してしまいました。 現在の本殿は間口二間半・奥行き一間半余り、四方に廻嫁がある大宮ツマ造りといわれております。 又別名を蟻の宮と称えています。今を去ること夏おおいに早魅の年、村民多数高座神社に参拝し七昼夜、雨乞いの祈願を 致しました 七日目の夕、村人の一人が大きな蟻がご社殿から這い出て列を作っているのをみつけました。 蟻の列をたどっていくと蟻が窪みの所で消えてなくなっていました。 蟻が消えた窪みを掘り返してみると、清水がコンコンと湧き出てきました。村民は驚き感激して、溝を通し田に水をたた え枯れかけた稲は青く蘇りました。この年芦田の谷では豊作の年を迎えることが出来たのです。今日でも水路に水神様の 嗣を作りお祭りを続けています。又、境内社の馬鳴神社は蚕の宮といわれ氷上郡内の豊かな生活を求め当社に参拝し、 「養蚕を始めよ。守護する神は保食神なり」と夢のお告げにて村民は驚き、広く養蚕を営むようになりました。ここに青垣 の地方は蚕を飼うようになり今日では五穀豊穣、諸業繁栄、延命長寿、無病息災の社として参拝されております
・・・配布案内書より引用


境内社・・若宮神社 祭神、応仁天皇
一対の石燈籠‥明和六年(1769年)
ここ、高座神社は、刻銘が木札に記されています‥助かりますね!!

写真下、右・・・蚕ノ宮
拝殿前、鳥居横の石燈籠、安政三年(1836年)
‥石工 藤原?良政直とある‥
社頭の一対の石燈籠‥嘉永三年(1830年)

長い拝殿、一直線に並ぶ三体の龍、拝殿を取り巻くか如く、蟇股の彫物・・・見応えがあります

そして、狛犬・・・別途、備忘録を記します



参拝日:6月2日


これより写真は、蟇股の彫物です・・・
Panasonic DMC-FZ1000での写真‥お初です・・・(*^_^*)





木鼻