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2015年11月30日

住信SBIネット銀行本人認証サービス・・の、メールが着ました!

性懲りもなく、またまたやってきました・・・住信SBIネット銀行本人認証サービス
まぁ、久しぶりやけど・・
出だしの文言・・こんにちは!・・・
ビジネスの文言に、こんな書き方、しないと思うのですが・・・!
          

そして、Outlookでの送信者の表記は・・・

今後も来るでしょうけど・・・困ったもんです!
気をつけましょう・・・

追記:12月3日 AM7:10 にも、同メールが着ました! ・・・(^^;)






2015年11月27日

国道168号線、十津川街道・・紀伊半島、ひとり旅・・・最終回・・!

紀伊半島、ひとり旅・・二泊三日、先輩を訪ねて、高野山から、龍神スカイラインを南下・・・
そして、紀伊半島の海岸線の名所、潮岬、本州最南端など・・・そして、熊野三山のうち、二つ・・
熊野速玉大社、熊野本宮大社を巡ってきました・・・

いよいよ、帰途です・・・国道168号線、十津川街道を五條市へと、北上します・・・
まもなく、十津川温泉です・・・
十津川温泉の中心か?・・・元祖、源泉かけ流し温泉とありますね・・・
そして、しばらく走ると・・・道の駅、十津川郷・・・
足湯があるよ・・・(*^_^*)・・湯泉地温泉・・・
十津川村には三つの温泉(上湯、十津川、湯泉地)が沸いており、十津川温泉郷とよばれています
ここ、湯泉地温泉はその中でも最も歴史ある温泉地です
宝徳二年(1450年)に沸きだし、昔、ここへ湯治に訪れた歴史上の人物、佐久間信盛、本願寺門跡、顕如上人、郡山城主、豊臣秀保などがあります?(います、ではないでしょうかね)

泉質:単純硫黄泉
泉温度:六十度
効能:神経痛、うちみ、痔病、皮膚炎など・・
・・・説明板より引用
もちろん、疲れを癒やすため、足湯へ・・・
足を浸けようとしたら・・・写真のご夫婦?が・・・熱いで!・・気をつけや!・・って!
よく、見ると、60度・・・試しに足浸けると・・・熱い! 
しかし、すこしづつ、浸けては、出て、又、浸かる・・そう、30分ぐらい足湯を堪能しました・・・足、ピンク色・・でも、気持ち良かったで~す!
このおじさんに言われなかったら・・熱つっ!・・と、声あげていたかもね!
しかし、このご夫婦、1時間、浸かっていると・・・我慢我慢と・・言っていましたが・・・(*^_^*)
・・・ご忠告、ありがとうございました・・・・

道の駅、十津川郷・・「P」が若干、狭いね・・・

「P」からみた、今から走る国道168号線がみえますね・・
「α君」の横に、後で「P」したのか、キャンピングカー 「α ALPHA」とあります・・・
いいですね・・・こんな「α君」もほしいで~す
国道168号線を北上中・・・十津川第一発電所 水路橋・・・すごいね!

さらに走ると・・・谷瀬の吊り橋の看板があり、そちらへ脇道を入ります・・
しかし、その吊り橋を見た瞬間・・・止めました・・・だって、高所恐怖症気味の私・・無理!
調べてみました・・・・
スリル満天!空中散歩「谷瀬つり橋」・・・・日本有数の長さを誇る鉄線のつり橋。
上野地と谷瀬を結ぶこの巨大なつり橋は長さ297m、高さ54m・・・
そびえ立つ深い山々に囲まれ、眼下には清澄な十津川(熊野川)が流れまさに絶景!

歩くたびにゆらゆらと揺れるつり橋はスリル満点!まるで空中を散歩している気分。
十津川村No1 の観光スポットですと・・・
今から約60年も前の昭和29年(1954年)戦後の復興期に谷瀬の人々らは川に丸木橋を架けて行き来していたが、洪水のたびに流さた・・・そこで谷瀬集落の人々の協力を得て完成させた・・・

今は無料で渡ってもらえると・・・・確か、村営「P」は500円です!
真横からみた・・谷瀬つり橋・・・お見事です!
ちょっと、小休憩・・・・紅葉がすすんでいすね!・・あぁ、雨です・・
「とんと十津川御赦免どころ 年貢いらずのつくりどころ」・・・歌碑・・・
これ、調べてみました・・・
・・十津川は永治二年(1142)高野山文書で「遠津川」という文字で登場しています。
「とんと十津川御赦免どころ年貢いらずの作りどり」などと歌われ、白鳳年間より明治の初年まで租税勅免の地でありました・・・
・・・十津川かけはしネットより引用
十津川村観光案内・・・
さぁ、国道168号線を五條へ向かいます・・・
この国道168号線・・・十津川街道・・十津川沿いの蛇行路が延々と続きます・・
トンネル工事、復旧工事と思われますが・・1~1.5車線の道・・大型車でもくれば、離合さえ無理・・
たまたま、黄色いパトライトが遠方に見えました・・・うん?・・
・・・来たのはブルドーザーを積んだ大型トレーラー・・・
・・うん?と、思い、待機・・・勿論後続車も待機・・・待っていて大正解でした・・・ホッ・・です!
もう、この道は通らないと思いますが、車の数は多いのです・・・新宮市から、五條市、橋本市への最短の国道ですからね・・・・

やっと、我が家に到着です・・・・
午後19時30分・・・三日間総走行距離、652.7km 平均燃費 24.2km/L・・・
新宮市で満タンして、GSレベルは、上から一つ減ったところ・・・いや、大食家ではなく助かります



先輩を訪ねて、紀伊半島のひとり旅・・紀伊半島の山中をちょうど「Uの字」ように走りました・・
天候に恵まれ、太平洋の雄大な絶景から、熊野大社も訪れ、よき旅となりました・・・
次回、和歌山から、伊勢まで走ってみたいですね・・・いや、伊勢から、和歌山かなぁ?・・

「α君」も「カーナビ君」も機嫌良く・・・「α君」「カーナビ君」がなければ、どこへもいけないことも・・
そして、道の駅のありがたさがよ~く、わかった、旅でもありました・・・
備忘録も、紀伊半島、ひとり旅と題して、25ページ・・・よき思い出を綴ることができました・・・

こんどは、どこへ、ひとり旅・・・かなぁ?
楽しみです!!





発心門王子、そして、道の駅、奥熊野古道ほんぐう・・紀伊半島、縦断のひとり旅!

いよいよ、紀伊半島、ひとり旅も最終行程へ・・・・
世界遺産熊野本宮館で教えていただいた、発心門王子へと向かいます・・・
・・・・発心門王子は和歌山県田辺市本宮町の神社旧蹟・・・・

総合案内の方が、ご親切に、ピンクのマーカで記してくれました・・・m(_ _)m
右赤丸が、世界遺産熊野本宮館、熊野本宮大社 中赤丸、道の駅、奥熊野古道ほんぐう 左赤丸、発心門王子
熊野古道・・・熊野の神域の入口とされる「発心門王子」から熊野本宮大社へのコース。
コースのアクセスも良くガイドツアーもあり、熊野古道No.1の人気コースです・・と、あります!
三越川沿いに走ります・・・林道です! バスは走っていますが・・・離合も難しそうな道!
そして、発心門王子への案内表示がない・・・考えれば、皆、歩くわけですから、車で行こうと考える方がおかしいかもね・・・

一旦、バスの終点である発心門王子まで来て、それから熊野本宮大社まで、熊野古道を歩くのでしょうかね・・・想像!
写真上の右(写ってはいない)に白人の外人さん、男一人、女二名・・昼食か、休憩か・・・
そして、若者男性、五人組、わいわい言いながら消えていきました・・・・先ほどすれ違ったバスで来たのかなぁ?

・・・ここ熊野古道ってとこは、どこにでも、歩く方や、観光客がいますね・・・!


発心門王子跡、説明板と記念スタンプ台・・・
熊野川の中州に鎮座する熊野坐神社まで、約7kmのところにあるこの王子の名は発心門すなわち「悟りの心を開く入り口」とされる大鳥居があったことに由来する

天仁二年(1109年)に山系した貴族、藤原宗忠(1062~1141)はまず門前で祓いをし、発心門は大鳥居であり、参詣の人々は必ずこの大鳥居をくぐること、また、はるかに見遣ると恐れを感じることを日記に書き残している

また、建仁元年(1201年)に若の講師として後鳥羽上皇の熊野御幸に供奉した貴族・藤原手家(1162~1241)は、王子社の背後ぬあった南無房という尼の居宅を宿舎とし、門柱に感動と祈願を込めた漢詩と和歌を書き付けている

熊野九十九王子の名称は地名や地形に基づくものが多いが、発心門王子の場合は信仰に関する命名の代表であり、この王子が果たした役割の大きさを現している・・・案内板より引用
発心門とは何か・・・ググッてみました・・m(_ _)m

発心門と言う語は山岳信仰における四門修行に由来する。四門修行においては、山上の聖地 に至る間に発心・修行・等覚・妙覚の4つの門を設け、それらを通り抜けることによって悟りが開かれると説かれた。このとき、発心とは発菩提心、すなわち仏 道に入り、修行への志を固めることを意味する。すなわち、発心門とは聖域への入り口を意味しているのである
天仁2年(1109年)の藤原宗忠の参詣記は、ここに大鳥居があり、参詣の人々はその前で祓いをして鳥居をくぐったと伝えている。
発心門とは本来は字のごとく楼門であるが、ここでは鳥居であり、そのそばにあったことから発心門王子の名が与えられた

王子とは何か・・・ググッてみました・・m(_ _)m

王子は参詣途上で儀礼を行う場所であった。主たる儀礼は奉幣と経供養(般若心経などを読経する)であり、神仏混淆的である。だが、よく言われるような熊野三山遥拝が行われた形跡は(少なくとも史料上では)確認できない。また、帰路にはほとんど顧みられることがないことから、物品の補給をおこなったとする説もあたらないと考えられている。これらの儀式が王子で行われたのは、王子とは熊野権現の御子神であるとの認識があり、すなわち参詣者の庇護が期待されたのである

以上・・・Wikipediaより引用

藤原手家の歌碑・・・入りがたき法の門はけふ過ぎぬ 今よりこの道にかえすな・・・

          
熊野古道入り口・・水吞王子、伏拝王子へと向かう古道の出発点?
熊野参詣道中辺路・・・・ここから、熊野本宮大社まで、約7km、2時間のコースタイム・・です!

発心門王子をあとにして、遅めの昼食を・・・道の駅、奥熊野古道ほんぐう・・

ここでいただいた、昼食は・・・めはりずし(めはり寿司)・・・
和歌山県と三重県にまたがる熊野地方、および奈良県吉野郡を中心とした吉野地方の郷土料理、高菜の浅漬けの葉でくるんだ弁当用のおにぎりと・・
めはりずしと蕎麦のセット・・・いや、めはりずし・・絶品でしたし、懐かしい味でした・・写真、忘れました・・m(_ _)m
発心門王子にもありましたが、藤原手家の資料が展示されています・・

「道の駅、奥熊野古道ほんぐう」から、みる川・・・右が熊野川上流 左が三越川・・・
合流して、熊野川に・・下流へと・・・
またまた、パノラマです
案内板・・ちょっと痛んでいますが・・・

熊野本宮大社、発心門王子を参拝してまいりました・・・

感想・・・熊野古道を歩く方の多いこと・・・
若者グループ、外人さん二人ずれ、三人組、勿論単独で・・・そして、若い女性一人で、iPad?タブレット片手に、ウロウロしている・・・
日本って、安全なんやね・・だから、多くの方が、山深い古道を歩いているのですね・・・
そして、観光案内所の方々は仕事とはいえ、外人さん、私も含め、皆さんに非常に親切です・・世界遺産ならこそ大事ですね・・!
いや、日本って、いいですね・・・(*^_^*)

さぁ、帰途へ・・・国道168号線を・・十津川を五条へ向かって北上します!


続きます・・・



参拝日:11月7日





2015年11月26日

世界遺産熊野本宮館・・紀伊半島、縦断のひとり旅!

熊野本宮大社の前に立地する・・・世界遺産熊野本宮館、田辺市!

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を含む和歌山県・奈良県・三重県の三県を結ぶ本宮地区に立地します
 熊野本宮大社や旧社地「大斎原」を望む地で、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」(熊野古道)を訪れる皆様に、観光情報や地域情報を発信する拠点として整備いたしました。
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」や熊野地域の観光拠点としてお立ち寄りください・・・HP案内より引用

写真は北棟・・・・
北棟、南棟・・・と、あります・・
さぁ、入ってみます・・・北棟から・・・
今からの掲載する写真は、係員さんに確認した上で撮影していますから・・・(*^_^*)

曼荼羅・・・
三川が描かれており、鳥居も、船着場もみえますね・・・
・・・この曼荼羅の前で、尼さんが、外人さんに英語で説明しておられました・・・
八咫の火祭りの様子の写真をパチリ・・・幻想てきですね!・・人々を幸福に導くお祭りと・・!
ジオラマ・・・
「本宮本社末社図」に描かれた社殿「江戸時代」・・・熊野本宮大社蔵
「一遍上人絵伝」
信仰の原点と熊野権現・・・
熊野は深い森と険しい山岳地帯であることから山や川、巌や森などを神聖視あるいは神々が降臨し籠もっているという自然崇拝に起源を持つ・・
平安時代の浄土信仰の広まりや神仏習合に基づき神は仏が衆生済度のため「権」に姿を「現」したものという本地垂迹説により本宮は阿弥陀仏、新宮は薬師如来、那智は千手観音が本地仏とされ、現世利益を求める人々が直接熊野三山に参詣するという宗教現象が見られるようになる・・・説明板より引用


今回の旅では訪れていないが・・・那智参詣曼荼羅・・・
参詣曼荼羅は、中世末~近世初期にかけて寺社の境内を描いて勧進聖が布教・勧進のため用いられたものです
那智参詣曼荼羅は、那智大社、那智大滝、浜の宮など中世の那智山一山の信仰空間を一図に収めていてそこに参詣する人々も生き生きと描かれています・・・説明板より引用





なかなか、素晴らしい展示物で、よ~く、理解できたと思います・・・(^^;)
熊野本宮大社を訪れる前に、前知識として、先に見るべきかもね・・・私感!

そして、南棟へいき、総合案内にて、帰途のルートをお聞きしようと・・お尋ねすると・・・

・・係員さん・・・帰途の少し先にあります、「発心門王子」はご存じですか?・・と
・・・・ 勿論、知りませんので・・
ここは、丁寧に教えていただき、訪れることに・・・

では・・・熊野本宮大社を後に・・・「発心門王子」へ向かいます・・・


続きます・・・・・・



訪問日:11月7日






2015年11月25日

熊野本宮大社の旧社地・・大斎原へ・・紀伊半島、縦断のひとり旅!

大斎原・・・
熊野本宮大社の地は山の上にありますが、明治22年夏(1889年)熊野川未曾有の大洪水で流されるまで社地は熊野川の中州にあった・・
現在、旧社地の中州は「大斎原」と呼ばれ、日本一高い大鳥居が建っている・・・

では、参りましょう・・・・


         この石碑のある民家の間の道を進みます・・・
         
おおおぉ・・・畑の中にそびえる、鳥居が見えました・・・ここから見ても、でかいすね!
カメラに入るギリギリのとこから・・・みます・・(*^_^*)
・・・大鳥居・・・幅:約42m 高さ:約34m、鉄筋コンクリート造・・・
八咫烏が輝いていますね!・・拡大してみました・・

日本第一大鳥居建立の意義・・・
幅:約42m 高さ:約34m

皇紀二六六一年、熊野の大神の御神徳が発揚かつ千木高く厳然として鎮まりますよう熊野本宮大社・熊野信仰の原点となる大斎原に日本第一大鳥居建立する運びとなった次第です
八咫烏を掲げた天下一大鳥居です
竣工は平成十二年五月十一日です

日本には天照大神を祀る神宮(伊勢)や、素戔嗚尊を祭るここ本宮(熊野)大国主尊を祭る大社(出雲)を始めたくさんの神社がありますが、神社で最初に目に付く物といえば鳥居です
鳥居は神社が神聖で清らかな場所であること、つまり神様のおあしますことを示す一種の門です


左下:国の指定移籍・・・名称、大斎原  右下:世界遺産、石碑

参道を歩いていくと杉の枝を落としていました・・・
    ・・・登っている職人さん・・長い棒の工具を延ばしていますね・・難しいそう・・(*^_^*)
            
熊野坐神社 旧社(大斎原)水害前の絵図・・
熊野坐神社(現、熊野本宮大社)は、熊野川、岩田川、音無川、三の川が合流するここ大斎原に鎮座していました
熊野神々は、中州のイチイの巨木の梢に三体の月の姿で降臨したともつたえられています
・・・中略・・・絵図には下流の三川合流地点には船着き場が見えますが、ここが新宮へ向かう「川の参詣道」の出発地点でした・・・説明板より引用
説明板より引した旧社鳥瞰絵図
説明板より引用・・熊野坐神社水害前の写真
旧社地・・「大斎原」
中四社・・
・・・ 第五殿  忍穂耳命
・・・第六殿   瓊々杵尊
・・・第七殿  彦火火出見尊
・・・第八殿  鵜葺草葺不合命

下四社・・・
・・・第九殿   軻遇突智命
・・・第十殿   埴山姫命
・・・第十一殿  弥都波能売命
・・・第十二殿  稚産霊命

注意:みだりに各所を撮影したり他に利用しないこと・・
・・・と、あります!・・・m(_ _)m・・・
当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。 江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりでした。 音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れたのです。  かつて多くの人々の祈りを受け止めた大斎原には、流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられています・・・熊野観光より引用

熊野川の川原へおりてみました・・・古来、川の熊野参詣道だったのですね・・・
・・・川の流れ、様子も変わったようです・・
GoogleMapでは、この川の名は新宮川・・・その他多くの資料は熊野川・・・ふ~ん?


突然、車三台が、手水舎で清め・・・猛然と参道を走っていきました・・・なんじゃ、何者や?
しかし、車、人と比べて・・・鳥居の柱の太いこと・・・(*^_^*)
鳥居前から、・・・この地より西方七百米の高台の本宮大社も眺める・・・
順路違いますが・・末社・・産田社・・・
御祭神:伊邪那美命(荒御魂)がお祀りされています・・・女性の守り神とあります!

さぁ、もう一度、振り返って・・・・

ここへ来る途中に、「世界遺産熊野本宮館」があります・・・
ちょっと、立ち寄ってみましょう・・・・

続きます・・・



参拝日:11月7日