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2014年8月24日

観心寺、国宝の金堂です・・大阪府河内長野市!

・・・「折衷様」建築の代表作とされる、観心寺の国宝、金堂を訪ねます・・・まずは、パチリした金堂を!
では、観心寺への備忘録を記します・・・!

神戸市で唯一の国宝、太山寺本堂を訪ねました・・・その折り、本堂の建築様式からググっていると・・・
折衷様と云われる言葉が出てきました・・そこから折衷様をさらにググっていくと・・・観心寺がありました!
・・勿論?、知りません・・・はい!・・・>

で、その場所は・・左図、赤四角部分!
大阪府南河内地域に位置する、河内長野市、金剛山、千早赤坂村村・・
なかなか、訪れることが少ない地域やけど・・・
紐解くと・・千早赤坂村村・・大阪府唯一の村で・・
楠木正成の出身地として知られ・・
役行者が修行したと言われる金剛山があるのです

この、楠木正成が実は、観心寺と大きな関係があったのです

国宝、重要文化財の建物探訪が主たる目的で、巡っていますが、言葉、ひろって・・ググっていくと・・
まぁ、これが繋がるは、繋がるは・・次から次へと・・興味津々です
と、いったことから、今回は、「高野山真言宗 遺跡本山、観心寺の国宝、金堂」を訪ねます・・

観心寺の国宝、金堂は南北朝時代の建立・・・
建築様式に、伝統的な和様と禅宗様の要素が混在している、いわゆる「折衷様」建築の代表作とされる。
重要文化財の建掛塔、そして、重要文化財の訶梨帝母天堂・・その他、重要文化財だらけ、失礼な言い方をm(_ _)m

見応え満載ですね!

河内長野市は、仕事で、訪ねたこともありました、過日は高野山の帰途の途中通過しました!
市街地より金剛山方面へと入った山麓、国道310号線から奈良、五条へ向かう途中に、観心寺があります
観心寺は奈良時代からの歴史を有すと伝わる古刹であり、そして、前述の河内の豪族である楠木氏の菩提寺なのです!

「P」の案内看板に従って「α君」を停め、うん?と思いながら・・実は山門前に「P」があったはず?・・まぁ、ええか!・・と
国道歩くと、本坊、重要文化財、本坊書院、工事中・・・そこには、たしか、本坊門、勅使門が・・しかし、シートで覆われ、姿見えず・・・残念!

歩くこと、70~80mあまり・・「P」が現れました・・・その「P」には楠木正成の馬上姿が・・・・
山門を見上げ、続く石段・・その奥に、金堂が見えます・・・
そして、古い建物の納経所が、受け付けです・・・300円支払います!
いただいた、パンフの境内図見ながら、さぁ、・・と、いう前に、納経所の隣が・・中院門・・その奥に、中院が・・
(写真左上:納経所が、受付  写真右上:中院門)
中院・・楠木家の菩提寺、楠木正成八才から十五才までの学問所・・正成の首級が送り届けられた時、長男正行が切腹しようとしたところ・・と、ある!

長が~い、石段の続く坂道・・・どうです、この雰囲気、静寂感・・最高です・・山門をくぐり、見上げて、パチリです!
石段の上に金堂が・・・この付近、今は、誰もいません・・静寂そのものです!・・よき、時に恵まれました!

右手に拝殿が・・写真左下:石段側から  右下:鎮守堂側から
そして、その上に鎮守堂(訶梨帝母天堂(かりていぼてんどう)、重要文化財)が・・・・むずかしいよみ名です
一間社春日造、檜皮葺、後村上天皇によって、再興、楠木正行が監督するとあります
写真右下、見事な彫刻です
更に石段を上がります・・いよいよ、国宝、金堂です!
金堂の前には弘法大師、礼拝石があります(写真右下)
この金堂は大阪府最古級の国宝建造物であり、七間四方、単層入母屋造、正面に三間の向拝を取り付け、和洋、禅宗様、大仏様の折衷様式の代表遺構である
室町時代初期に建立され、豊臣秀頼の時、江戸時代中期、明治の初め、昭和の初めなど度々修理し、昭和五十九年に昭和大修理の落慶をみたと!
本尊は外陣からは良く見えなかったですが、如意輪観音、不動明王、愛染明王、内陣には板製の両界曼荼羅がある

金堂の前には弘法大師、礼拝石があります(写真右下)
写真右上:新河内長野八景の一つとあります

金堂の堂内へ入ります・・・そして、向拝から・・・石段、山門へパチリ・・(写真右下)
本尊、如意輪観音は秘仏、弘法大師作、日本で5番目の国宝、平安時代の密教彫刻の最高傑作と・・御開帳は四月十七、八日・・
そして、『日本三大如意輪』は西宮市神呪寺、室生寺(奈良)と並び『日本三大如意輪』なのです!
ここで、室生寺は訪れました、西宮市神呪寺・・近く?なのに未だ・・では、近々?・・・
勿論、内陣は撮影はしませんが、『日本三大如意輪』の案内の側に、写真がありましたから、パチリです!
向拝の手挟に観られる彫刻には、彩色が施されています
昭和大修理のお陰で、朱色が鮮やかです!

再登場ですが・・・・建掛塔側から見る、国宝、金堂です・・この方向からの金堂、綺麗です!
建掛塔(重要文化財)へ・・・
三間四方、茅葺、三重塔建立予定が、正成湊川で討死のため未完のまま現在に伝わる
未完のまま姿・・三重塔の初段として、見たところ、なにか、うん?と思わせる立ち姿? しかし、これはこれで、ええやん!・・なんて、つぶやきながら一周しました!・・あくまでも私感です!
 金堂といい、建掛塔といい、人影がなく、全体像をパチリは、ラッキーですね!

建掛塔の側に、鐘堂があります・
なにやら、片隅で手入れも行き届かいのか、使われないのか・・・
鐘の下には色々と物が置かれていますし、寂しそうに建っています
写真左下:阿弥陀堂です  写真右下:御影堂です
四国別格二十箇所霊場お砂踏み道場がありました・・歩かせていただきました!
さらに進むと、後村上天皇桧尾陵があります・・勿論、宮内庁管轄です!
第九十七代天皇、後醍醐天皇の皇子 住吉大社で没後、当山に御陵が作られる・・と、あります
きつそうだし、迷いましたが、参拝することに・・・・これが、エライことに・・・
急な坂道、石の階段が・・・想像どうり、きつい、えらい、急坂、つらく、脚、ガクガク状態!
あとで、受付の御仁に聞くと・・なんと240段も・・・

汗ボトボト、脚、ガクガク・・なんとか、降りてきました・・・次は、開山堂(本願堂)・・

開山堂の裏山には、道興大師御廟があります
その側に、楠木正成首塚
正成湊川にて討死後、足利尊氏の命により、その首が当寺へ送り届けられ、ここに祀られると・・・

写真の右隅の石碑の字体、正成、自筆とある!
新待賢門院墓の側に、宮内庁の看板が・・・コウボ坂、陵墓参考地とある・・
なんのことかと、ググってみると・・・Wikipedia引用
古記録、地域伝承、墳丘の形態や規模、出土品等により、宮内庁によって皇族の墳墓とされたが、被葬者を特定する資料に欠ける陵墓・・と、ある!
・・・ Wikipedia引用
さぁ、戻りましょう・・と・・建掛塔と金堂が・・おもわず、パチリです!
星塚・・・巨木が立ち、柵で囲まれ、祈願の幟が・・・
弘法大師が境内に勧請された北斗七星の塚、北斗七星を祀るのは、日本では、観心寺のみ・・と、ある!
境内図を見れば、大小はあるが、七箇所あります・・・

金堂前から石段を降りていきます・・しかし、脚、ガクガク、汗、ボトボト・・・・
誰もいない、石段に座り、しばし、休憩・・・横見れば、苔むした、石燈籠・・・おもわず、パチリ・・・

刻まれている文字は「元禄三年・・」と、見えますが?
登ってくるとき、見ていた、霊宝館、宝物が展示されているとのこと・・・無料!・・うん、珍しいことです!
館内にあった、パンフを・・すみません!・・クシャクシャになっていますm(_ _)m
このなかでも、如意輪観音・・(赤枠)
本尊の試作と伝えらているが、秘仏本尊の前立ちとして彫刻された像
展示されている、仏像はほぼ、平安時代の重要文化財ばかり・・・監視員さんも居ず、防犯カメラのみ・・
勿論、撮影禁止・・看板小さいから撮影している先人もいるかもね!・・ほんと、看板は片隅にあるから・・要注意、要確認です!
霊宝館のとなりへ、恩賜講堂が・・・大きく、堂々した建物ですね・・・(写真左下、右側、霊宝館)
写真右上:牛滝堂・・・堂内清掃作業中の為、遠くから、パチリです

降りてきました・・・受付に先ほどの後村上天皇桧尾陵に参拝しましたが、石段長いですね!・・って、尋ねると!
240数段あり、勾配きつく・・と、教えてくれました!
そして、 大阪府最古級の国宝建造物・・・堺市桜井神社の割拝殿がありますよ!・・って!
・・・おおぉ、いい情報が・・・後日、伺いましょう・・・


受付、納軽所の反対側には後村上天皇御旧跡(旧惣持院跡)が・・・・
写真右上:観心寺境内図

いや、静寂感漂う、こころ落ちつかせてくれる、観心寺・・・遠く、河内長野まで来た甲斐がありました!  
日曜日でしたが、こんなに人が少ないとは、ラッキーでした
帰り、山門を出たところで、6~7人さんが、来られました(*^_^*)

今回の備忘録、写真多く、長文となりました・・・・それだけ、気に入ったということで・・・ご勘弁を!


最後に・・・・ 草創、開基を・・・
観心寺は文武天皇の大宝元年(701)、修験道の開祖である役小角(えんのおづぬ)によって開かれ、初め雲心寺と呼ばれていた。
その後、平安時代初期の大同3年(808年)には、弘法大師空海が雲心寺に北斗七星を勧請され、弘仁6年(815)、衆生の除厄のために本尊、如意輪観世音菩薩を刻まれて、観心寺と改称された。
しかし伝説はともかく、実弘法大師は当寺を道興大師実恵に附属され、実恵は、淳名天皇から伽藍建立を拝命して、天長4年(827)より造営工事に着手とある、その作事奉行が楠木正成であった

備考:文中、説明、図は、観心寺パンフより引用させていただきました



2014年8月20日

太山寺本堂・・神戸市内で唯一の国宝です!・・兵庫県神戸市

・・・神戸市、太山寺の案内板の説明によれば・・・
兵庫県下には、姫路城を代表とする国宝建造物が6箇所14棟あります
太山寺本堂は、神戸市唯一の国宝なのです・・・

兵庫県下・・国宝建造物は・・・

一乗寺
・・加西市坂本町・・三重塔(国宝)・・・訪ねました
朝光寺・・加東市畑・・本堂(国宝)・・訪ねました
浄土寺・・小野市浄谷町・・浄土堂(阿弥陀堂)  国宝 ・・未だです
太山寺・・神戸市西区伊川谷町・・本堂(国宝)・・未だです(今回)
鶴林寺・・加古川市加古川町・・本堂、太子堂(国宝)・・未です

浄土寺、小野市・・鶴林寺、加古川市・・・ちょっと走れば、お目に掛かれるところなのですが・・・!
いや、いつも、お思いつきでしか、行動しないから・・と、いわれています!

私・・国宝、重要文化財・・と、いう単語、言葉にメチャ、弱いのです、興味津々なのです!

で、今回、太山寺・・神戸市西区伊川谷町・・本堂(国宝)を尋ねます!
なぜ、国宝、太山寺を知ったか・・

今年5月の三木市、蓮花寺の古い道標に刻まれていた寺の名を調べて、わかったのです・・・ 南、大谷山、小川谷、太山寺とそして、西、浄土寺と刻まれています

写真左:5月11日備忘録より
太山寺・・天台宗 天延元年(973年)の年紀をもつ、「播州太山寺縁起」には、藤原鎌足公の子、定恵和尚の開山、霊亀2年(716年)の建立と伝える

太山寺・・実は、2度目なのです・・・
前回、仁王門、参道入口付近の、有料「P」の案内看板を見つけ、「α君」で入っていきました!
しかし、なにやら、白壁の塀が!その石畳み・・・それも、「α君」一台ぐらいしか通れません・・う~ん?・・これは、違うなぁ?
で、なんとか、Uターンして、一旦県道へ・・・で、調べて出直しましょうと、いうことで・・・それから、2ヶ月が経ちました・・・

今回はググってきています・・中門前あたり白壁の奥に「P」がありました・・・大丈夫かなぁ・・と、思いながら、入っても、見過ごしました・・・案内板!!(写真左下:赤丸部分)
はい、案内看板・・わかりませんよね・・・それも、入口が狭い・・写真では広そうですが・・これはこれは、気をつけないと・・横腹をガリガリと・・・いきそう! ・・石畳みの参道・・これが、あとでわかるのですが・・秘密が!・・凄いのです!!

石段を上がり、中門をくぐると、左側に受け付け・・・入山料300円を払い・・・まずは国宝、本堂です・・・
受付から見上げるところに、国宝、本堂が・・どんと、両翼を広げたような、大きな本堂です
入母屋造、銅板葺き、桁行7間、梁間6間・・柱真々間で、20.82m、側面17.76m・・・と、大きいです

案内板を見ると、折衷様式、和様を基礎とし,新様式の唐様・天竺様の特徴を取り入れ、鎌倉時代13世紀の代表的な仏堂とあります・・・さすが、国宝、すばらしい雰囲気です・・!!
弘安八年(1285年)に火災で焼失、1300年ごろ、鎌倉時代の再建と・・・

そして、本堂内部は、内陣と外陣に区切られ、密教寺院の本堂形式とあります
外部は蔀戸が用いられ、上半分が外側に釣り上げ下半分は取り外せます・・と!
本堂内部へ入ることができました・・・外陣をパチリ・・・昭和39年に解体修理を行ったとのことで、朱色も鮮やかです

写真左上:本堂、外陣(ピンぼけ)  写真右上:本堂より、中門を眺める

阿弥陀堂です
貞享五年(1688年)に再建とある
お祀りされているのが、鎌倉初期、重要文化財の丈六の阿弥陀如来座像です・・・
堂前の紙に書かれて、案内しているのが・・たまりませんね!
ご尊顔を隙間から拝しました・・金色、輝き、やさしいお顔でしたm(_ _)m
そして、屋根瓦の形式が思い出されなく・・確か、閑谷学校の講堂と同じ屋根の形式・・「錣葺」か?

阿弥陀堂から、本堂の側を通り、鐘楼へ・・・・(写真左下)

鐘楼から本堂裏側へ向かうと・・護摩堂が・・・(写真右下)
建立は江戸時代中期(17世紀)とある
方3間の建物で、本瓦葺も宝形造り・・大黒天、不動明王、毘沙門天が安置されていると・・・
羅漢堂へ・・建立は江戸時代後期
方3間の建物で、本瓦葺も宝形造、四天王、十六羅漢尊、釈迦の四大弟子像が安置されている

そして、その奥に・・釈迦堂・・・・建物全体は撮せませんでした
建立は江戸時代後期、宝形造りで、釈迦、文殊、普賢の釈迦三尊が安置されている
この建物の木鼻の彫刻は、お見事です・・木鼻の獅子と、漠鼻、そして、蟇股もお見事です・・
写真右下:上部に蜂の巣を退治したあとが・・・おおぉ、大きいね!

太子堂へ・・・
その側に、奥の院への道標が・・・
あまり、人が訪れないのか、鬱蒼としているが・・・奥の院の名前のとうりか?
太山寺川に掛かる閼伽井橋を渡り、山中?へ・・・
そこには、稲荷舎と、地蔵堂があります
地蔵堂の下から水が湧き出し、この霊水は仏前に供する清浄水(アカ)で、その場所は閼伽井(アカイ)となっていた
この霊水は眼病に効くとのことだが、今は出ていないらしい・・・(^^;)

来た道を戻ります・・三重塔へ・・・
三重塔・・重要文化財で、心柱宝珠柱の銘と棟札から、貞享5年(1688年)の建立
屋根は本瓦葺で、各屋根の大きさが同じで、ずんぐりとして、又、見方によれば、ドッシリ感がありますね!
各層四隅の尾垂木の間には、邪鬼を置いてある・・

邪鬼の色が各層で異なり・・
下から、白、緑、褐色となっている
初層内部は見ることはできませんが・・・
須弥壇には大日如来座像及び四天王寺立像が安置されている

写真左:赤丸部分
ゆっくり、拝観でき、さぁ、帰ろうかと・・受付で一礼して・・そうすると、受付で冷たいお茶をいただきました!・・美味しかったです!
そして、少しお話を・・すると、なんと、貴重なことを教えていただきました!
  ・・・前述した参道・・・あの参道の石は、神戸市市電の敷石とのこと・・・(写真下)
その石だけを見る目的で訪れる人も多いと・・・・雨、降ると、風情が変わるとも・・

そして、そのお話を聞いて・・そうなのか!といって、見る石畳道が違って見えるのは、私だけでしょうか?・・・聞かずにいると、ただの石畳み・・あくまでも私感で~す!m(_ _)m

よ~く、見ると、石一つ一つの大きさがバラバラに見えるのですが?・・でも、なんともいえない景色の石畳道です!

 ・・・神戸市市電の敷石の石畳の道、仁王門から、中門前まで続いています・・・

「P」の前に位置する、 安養院庭園・・


国指定文化財名勝・・枯山水庭園、安土桃山時代、・・・太山寺塔頭の一院である、安養院・・・
阿弥陀堂や、原生林を借景として造られた兵庫県下でも、最古に属する庭とのこと・・残念ながら、期間限定みたいです・・・
「α君」に乗って、参道を・・・県道16号線へ・・県道沿いに建つ、仁王門・・・・
重要文化財・室町中期とある・・元々重層の楼門であったが、上層部を撤去して改築・・・
入母屋造、本瓦葺、棟高8mの八脚門である・・・
修理の際に明らかになった当初の軒組物を復元したものがおかれています
受付の方、曰く・・・神戸市電で使われていた石畳・・雨も風情がありまよ!
そして、紅葉・・周りの山々は常緑のため、紅葉は格別に綺麗とのこと・・・
やはり、平日の参詣が一番ですね・・・って!
そして、参道、車・・すれ違いもできないので、要注意!・・県道沿いに置いておくことをお薦めしますって・・・うん!確かに、そう思いましたね!

はい、紅葉の時季にきましょう・・・近くには、太山寺天然ラジュム温泉があるらしい・・で~す!
関係あるのかなぁ?・・・太山寺と・・・・

次なる国宝のお寺は・・・何処に参りましょうか・・う~ん?・・考えよう!!



備考:文中、文言、説明は寺内、案内板、太山寺さんのパンフより、引用いたしました
追記:ググって見ました・・・市電の敷石の大きさ・・300mm×500mm 300mm×400mmの2種があることを先人が書いておられました・・神戸市の地下鉄とか、公園とか、いろんなところで活躍しているようですよ!!