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2015年5月29日

多禰寺・・中井権次一統の足跡を巡って・・京都府舞鶴市多祢寺346

医王山、多禰寺・・・大浦半島の多禰山(標高556m)の中腹、海抜300mに位置します!
多禰山の山道を「α君」ユッタリ登ります・・・なぜか、嫁、林道が嫌いなのです!
この道は林道ではありませんが・・(*^_^*)

多禰寺の「P」に停め、展望台から・・・見える景色・・又々、絶景で~す!
先ほど、訪れた、平引揚桟橋の付近も、舞鶴クレインブリッジも・・・よ~く、見えます!
多禰寺・・当地方に初めて仏教をもたらした最古の寺であると・・・
京都府舞鶴市にある真言宗東寺派の寺院。
山号は医王山、本尊は薬師如来(薬師瑠璃光如来)。
草創の正確な事情は不明である。
享保二年(1717年)の『多禰寺縁起』によれば、用明天皇二年(587年)、聖徳太子の弟、麻呂子親王の開基と伝えられる。
縁起によれば、父・用明天皇の命を受けた麻呂子親王は、丹後の庶民を苦しめた鬼賊(与謝郡三上ヶ岳に住む英胡、軽足、土熊)を「七仏薬師の法」の力で平らげ、その加護に報いるため、丹後の国に七箇所の寺を建て、七仏薬師像を安置したという。その中で、親王の護持仏であった第七薬師瑠璃光如来を本尊としたのが当寺で、医王山多禰寺と名付けられたという。
・・Wikipediaより引用

山門の前の巨木・・この根の張り方、苔むした根・・ここは岩盤なのか・・?
自然の造形美は、実に美しい・・・
山門・・全景が入りません・・・
両側の金剛力士像が写真? 後ほど、その訳が分かります!
山門をくぐり、参道を本堂へ向かいます・・木立の日陰の中から見える本堂は、光輝いてみえます
本堂です・・・
向排・・・実は、多禰寺は、中井権次の足跡でもあったのです!
龍の背面・・左側に・・・「彫物師 丹波柏原城下住人 中井権次正貞 彫物」と刻銘されています
ここで、思いも寄らぬことが・・・本堂を見上げている私どもに、ご住職からお声をかけていただきました・・・

今回の備忘録は訪問地を順不同にて記しています・・
・・本日、最初に訪れたのが、重要文化財、三重塔、中井権次の足跡の「金剛院」だったのです!・・・後日、備忘録記します
で、入山料を納めさせていただく折、出掛けられる寸前のご住職がおられ、お声をかけていただきました!
そして、簡単ですが、お話させていただきました・・・三重塔、寺全体を見渡す場所とか・・
で、そこで、ご住職は出掛けられました・・・・

で・・嫁と二人して、本堂を眺めていると、お声をかけていただいた・・ご住職・・
私・・ええぇ? もしかしたら、「金剛院」の・・?
そうです・・この多禰寺も兼務していますと・・・・と、いうことで、中井権次の足跡についてお話が弾みました・・・
ご住職のお話では、木鼻の獅子の眼は入ってくるものを見ている・・・
像の眼は、出て行く者を見ている・・仏のお話?にもそのように表現したな部分があると・・すみません、旨く書けませんm(_ _)m
しかし、興味深いお話でした・・・・

と、お話が、なかなか本堂には入れませんから・・・と、いうことから・・・
・・それではどうぞ・・と、・・わざわざ、鍵を開けていただき、秘仏が祀られているお堂?にも、彫物があり、拝見させていただきました!

そして、山門の金剛力士像のお話になり、宝物館に収めていると・・・
又々、鍵を開けていただき、3.56mもある鎌倉時代の運慶の弟子の作ととこと!・・・なんと、日本で三番目に大きいとのこと・・・
なぜ、仁王門にないのか?・・・美術展示の為?、出張から戻ってきたら、国の重要文化財のため、仁王門には入れず、宝物館にて保存されると・・・

手が触れることさえできる距離で見上げる、金剛力士像・・筋肉が躍動する肉体、今にも動きそうな・・いや、実に素晴らしい・・

宝物館・・
ほんと、ご住職に色々説明いただきましたが、なにやら、やや、興奮気味で、実は、頭の中を素通りして、余り覚えていないのです!

と、云ったよき出会いができ、名刺まで頂戴いたしました・・・その名刺には・・・

西国四十九薬師霊場・・多禰寺
関西花の寺・・金剛院
真言宗御室派 舞鶴 観音寺

この三箇所の寺院のご住職を兼務されているそうです・・・
名刺拝見すると、ブログも書かれているようで、アドレスがあり・・拝見させていただきます!

どこで、どんな出会いがあるか分かりません・・・又、舞鶴 観音寺にお伺いするときがあればお会いしたいものです・・・

では・・次なる目的地へ・・・・



これより下の写真は、中井権次の足跡・・です!

左 木鼻
右 木鼻




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