本日は、飛び込みが、いや、通りすがりを参拝して回っているようで・・・だから、下調べなし(*^_^*)
主祭神・・・応神天皇 配祀神・・・大国主神 事代主神 由 緒・・・ 鎌倉時代、北条時政の家人倉垣治郎が主君の命により、元久元年(1204)、鶴ケ岡八幡宮を日置荘轟ノ岡に勧請して一社を創立。 寛文13年(1673)、本殿を再建 嘉永5年(1852)、霊代を装ひ奉る 明治6年(1873)、村社に列せられる ・・・と、ある! |
奥の境内は、白漆喰の塀に囲まれているようで・・手前の周りの雰囲気は・・・
昔、なにかあったのかなぁ・・・広いね!・・って、感じ!
う~ん!・・いいね・・ステキな灯籠・・刻銘は元禄二己巳十一月(1689年)とある
年代にしては、保存がすばらしい・・宝珠も、連弁、節、反花もキレイですね!
脇障子の彫り物も素晴らしい・・・クリックすると拡大します!
又々、通りすがり・・兵庫県神社庁データにありました!!
そして、ググってみました・・・先人の情報がありました!・・引用させてもらいますm(_ _)m
まず、広いこと・・・明治時代に轟八幡神社に新荘小学校があったとのことで、その関連かも?
そして、篠山には三大奇祭と呼ばれる祭りがあるそうで・・・
今田町住吉神社の「蛙おどり」、沢田八幡神社の「鱧切り祭り」、新荘の轟八幡神社で行なわれる「もち祭り」・・・「奇祭」と称していますが、決して奇怪なものではなく、それぞれ先人が、五穀豊穣や天下泰平を願い、その願いがより叶えられるように演出して奉納したものなのです。
もち祭りは当番の家(当家)が近所の人の手も借りて、夜が明けないうちからもちづくりに取り組みます。用意されたもち米は60kg・・これを蒸しあげて臼と杵でつきあげます。
直径30cmほどのものから小もちまで、様々なもちは翌日、桶に入れられ当家から宮入りして、氏子に分けられます・・・って!
轟八幡神社・・・参拝できてよかったです!
では、今度こそ、中井権次の足跡を巡ります!
追記:訪問日 4月23日
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