ページ

2015年5月30日

金剛院・・中井権次一統の足跡を巡って・・・京都府舞鶴市鹿原595

関西花の寺第三番霊場・・金剛院です!
金剛院には、重要文化財、三重塔、数々の文化財、そして、中井権次の足跡の本堂があるのです!
舞鶴市観光をしようと決めた時、中井権次の足跡、所在地の一覧表から・・おおぉ、金剛院が!

舞鶴東ICを降りて、僅かな距離・・・静かな空気が流れている金剛院に到着です!
到着時刻は、午前9時・・・観光客、だれも、いませんね!

山門・・
・・・金剛院配布のパンフより全文引用・・・
        ・・・由来・・・
当山は、平安時代初期の天長六年(829年)人王第五十一代平城天皇の第三皇子、高岳親王によって創建されました。 親王は第五十二代嵯峨天皇の皇太子でもありましたが、世の無常を感じて仏門に入り、法名を眞如と称し、弘法大師の十大弟子の一人として仏法の興隆につくしましたが、更に法を求めて天竺に向かい、途中消息を絶ちました。  ご本尊の波切不動明王は、第七十二代白河天皇のご痛気平癒祈願の為、永保二年(一〇八二)若狭の固から勧請されたもので、帝のご病気はこの不動明王の力によって忽ち平癒しました。帝は大いに満悦し、当時荒廃していた当山を復興し、三層の塔を建立して眞如親王を追善供養し、勅願寺として「意思寺」の寺号を下賜されました。また、第七十四代鳥羽天皇の皇后美福門院も深く仏法に帰依し、平忠盛(清盛の父)を造営奉公に命じ、久安二年(1146年)新たにに阿弥陀堂を建立し堂塔を修復するなどして、当山は本坊の金剛院の外に十二坊舎、食堂、浴室なども整備され全盛期を迎えます。  このように当山は皇室の庇護も厚く、その後の戦国動乱や天災人災にも耐え今日に至っていますが、江戸時代には歴代の田辺城主も当山を外護し、三重塔から本堂に至る山腹の楓は細川幽斎の植樹で、秋には全山紅葉に映え訪れる人が後を絶ちません。また境内地南西の鶴亀の庭も幽斎作と伝えられています。  ご本尊の波切不動尊(秘仏)は、弘法大師入唐渡海時の故事に因み、海難除け、重病平癒、火難、水難等捨ての災難を除く仏様として、広く人々に信仰されています。・・

山門を入ると、入山料を収めます・・・奥の建物は本坊・・
ここで、入山料を納めるとき、小銭がなく、ウロウロしていると・・出掛ける寸前のご住職が車を停めて、お越しいただき、・・お釣りをいただきました(^^;)
その折り、少しだけ、お話をすることができ・・・参拝理由として、三重塔と、本堂、中井権次の彫物と・・・この出会いが、多禰寺での再会?へと繋がるとは・・・
金剛院指定文化財・・・

阿弥陀如来座像(重文・平安時代後期作)
増長天立像(重文・平安時代後期作)
多聞天立像(重文・平安時代後期作)
深沙大将立像(重文・鎌倉時代・快慶作)
執金剛神立像(重文・鎌倉時代・快慶作)
金剛力士像 阿形(重文・鎌倉時代作)
金剛力士像 畔形(重文・鎌倉時代作)
他、文書、什器、絵画等多数を収蔵
千年ガヤ・・


このガヤの木は、高岳親王が植えられたと伝えらえ、樹齢1000年以上ともいわれているガヤの老齢木です
高さ22m、幹周り5.3mに達する府内随一の巨木で、京都自然200選「植物部門」に剪定されています。
このガヤは雌の木で秋には2~4cmの楕円形の果実が落下し、翌年の秋に熟して裂けます


重要文化財 金剛院塔婆
木造こけら葺 室町時代
現在の塔は、幾度にもわたる修復を経ており、室町時代に再建されたと見られるもので、永保三(1083年)、高岳親王(真如法親王)の追善供養のため建立されたものを起源としています。
この塔は、各層の間を狭くして、軒を深く見せ、組み物も実に複雑で、匠の技の偉大さを秘めています
朝日、逆光のため、反対側から・・・
この塔は昭和25年解体修理され相輪新調して完全復元されたもので、屋根はこけら葺きで北?例の整った各層の屋根のリズムには????がある。
・・・?は案内板より判読不明

初層の内部には太い四天柱が設けられ来迎壁には室町時代の花頭窓がついているのが珍しい

二、三層は三手先、二十繁捶の和様系の美しい塔婆で、軒の出が深いため、水平への広がりがあってこころよい景観を呈している・・・
・・・案内板より引用


手前、柵の側に、旧相輪の一部が見える・・

残念ながら単体の写真忘れました!

三重塔から本堂へ・・・
三重塔から本堂に至る山腹の楓は細川幽斎の植樹と云われている・・・
本堂です

彫物師 丹波柏原住 中井権次橘正貞の足跡です・・・
見事としか、いいようの無い彫物です・・ 天女の姿は、初めてみました!
・・・部位の写真は下部に掲載します・・・


鐘楼・・・この脇を通り、滝へ参ります・・・
        
残念ながら、枯れているかごとく、僅かな水しかありません
ご住職に教えていただいた、ビューポイントの鹿原公園へ出ます・・
おや、この壁の五本線は・・・門跡寺院か?

ご住職の言われるように・・・ビューポイントです!
説明板にあるように各層の間を狭くして、軒を深く見せているので、屋根が大きく見え・・重厚な趣です・・
どっしり、構えて、今まで見てきた三重塔と一線を画しますね!・・よき、お姿です!
パンフも紅葉の時期の写真がこの位置から撮影しています!・・真横から見える唯一の場所ですね!

広大な「P」・・・手前は観光バス用? 奥の「P」に「α君」がいます!
金剛院から帰途の途中、すぐ側、その道沿い立つ、荒々しいと感じた・・・
奉行杉・・樹齢九百年・・平 忠盛 植と、案内板があります
        


金剛院・・・重厚な三重塔・・見事な彫物のある、本堂、千年のガヤ・・舞鶴市の観光地、第一番の選んで正解でした・・・
ひとつ心残りが・・・細川幽斎作と云われている境内地南西の鶴亀の庭を拝見しておりません!
次の機会に・・・・

訪問日:5月26日


では、これより下部は、中井権次の足跡、作品を掲載しています・・・m(_ _)m



今にも飛びかからんばかりの龍・・そして、天女の姿・・・初めて見ました!

向拝、背面・・・
左下、彫物師 丹波柏原住 中井権次橘正貞と刻銘があります!


左、木鼻
右、木鼻
兎の毛通し・・・鳳凰やね! 一部、痛みが・・心配です!
手挟み・・いや、見事です!
海老虹梁と手挟み、木鼻を・・








0 件のコメント:

コメントを投稿