ページ

ラベル 神社-篠山市 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 神社-篠山市 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2023年10月27日

兵庫県丹波篠山市波賀野新田の秋葉神社、刻銘探しで再訪です

兵庫県丹波篠山市波賀野新田の秋葉神社です
2022年4月6日、訪れました
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2022/04/blog-post_06.html

その後、「左脇障子に刻銘がありますよ!」と、教えて頂きました
そして、撮影には脚立必須とアドバイスも頂きました

丹波篠山市方面へと走ることあれば、立ち寄ると決めていました

その時がきました、再訪です

社頭

いきなりですが、左脇障子
右白四角部分に刻銘がありました

このように欄干が邪魔で写りません
お伴は、オリンパス E-M1+40-150mmの望遠で狙いますが・・・
脚立使わないと、上から狙えません

  はい、こうなれば、いつものような技で!
そうです、コンデジ Ricoh CX6のレンズを隙間から差し込み、パチリです
見事に刻銘が撮影できました

秋葉社
摂津国有馬郡 藍曲村
彫物師 新井弥三郎正次

念のため、やや斜めからも一枚

こうして彫物師がわかれば、この龍も、分かるというものです?

木鼻

木鼻

蛙股

蛙股

秋葉神社

・秋葉神社 秋葉神社の御神体は父神具土神で、火伏の神様です。
これは山の神(天狗)が水の神を使役し火を消すと言う信 仰によると言われている村の伝承によいと、現在の市小学校 の裏に波賀野新田の氏神として鎮座されていたが明治十三頃、今の遷宮されたという。(敷地跡あり)
境内に合祀されていて小社は八坂神社、出雲大神、大黒主大神、天満宮、英申正一位稲荷大明神があり、出雲社には、「分化」英申碑には、「文政」石灯篭には、「天保十年八月」 とあることから、1809~1842年頃に祀られたものが、明治末期から大正初期におこなわれた神社合祀の奨励により、この地に遷座合祀されたものとうかがえる。
昭和60年9月7日本殿、拝殿、小宮殿老朽のため改修委員会を設立、昭和61年7月20日大改修が終り氏子全員で奉祝祭を盛大に行った。
秋葉神社の例祭は二月十八日、七月十八日十月十日 に近い日曜日におこなわれる。

・篠山藩郷倉(秋葉神社境内)
波賀野新田は篠山藩三大郷倉の一つがあり、年貢米の集積と 管理がおこなわれ、宿場街を形成し、多くの商売でにぎわった所です。
明治維新後(明治六年七年)郷会は解体売却され、 明治十八年跡地に篠山警察署前分署が設置されました。
神社の前の道が少し膨らんでいるのは、無倉に年貢集を運び込み時 の車寄せの名残と伝えられています。

古市まちづくり協議会 波賀野新田自治会



逆光は辛い!
・本殿、左右保護塀で撮影が難しい



全景

刻銘のこと、教えていただいた「ゆきまささん」ありがとうございました
無事?刻銘、確認でき撮影ができて、胸のつかえがおりました

前回は、社頭に「P」しましたが、なにせ車幅の狭い道路、気になって急ぎ撮影しました
今回は運良く有料「P」を見つけましたので、そこへ預け、時間を気にせず、ゆっくり撮影できました

ついでで、古市の村を散策してみました
天気も良く、よき散策となりました
しかし、天気のいいのも神社撮影は逆光となり、出来が芳しくありませんが、刻銘確認の目的達成ということで、よかったです












2023年4月8日

天満神社・・丹波篠山市上板井字平城ノ坪345-1

丹波篠山市上板井字平城ノ坪、天満神社です
この神社は、天文二年(1445)創立という歴史があり、そして奇祭といってもいいといわれている脈々と受け継がれている風習があるという

農道に「α君」を停め、ぶらぶら景色を眺めながら、前の山へ向かいます


白壁が、そして巨木が見えてきました

珍しいですね・・・漆喰、瓦の土塀です



      文字が刻まれているが、?永と読めそうだが・・・



由緒
文安2年(1445)創立。天正11年(1583)、社殿再建。当時、岩崎天満大自在天神と称す。
篠山城主松平家より神領寄進あり。自家の息災延命武運長久を祈り、元禄13年(1700)より14年にわたり社殿再建。
明治5年(1872)、社殿再建。


主祭神:菅原道真

彫刻を拝見しましょう

木鼻・持送り

木鼻・持送り


右、脇障子

左、脇障子

手挟み

持送り

蟇股が外れている

石灯籠

手前:明和三(1766)

文化十三(1816)

狛犬

古そうですね

境内社・・・岩壁が続いています

鳥居越しに、宮田川桜並木が見えます

樫の木の前の道を奥に行くと、板井城跡へといくようである

       町木・・・樫の木

ここ樫の木の根元に・・・

この木札は、なんなのでしょうか?

調べてみました
丹波新聞2020年12月の記事を発見・・・一部、引用します

大晦日、正月が近づき、普段なら日本人が最も神社に足を運ぶ時期になる。兵庫県丹波篠山市上板井の天満神社では元日に行われる神事の中で、ふしぎな「モノ」が登場する。木の板に過去と現在の男女を描き、境内や御神木の下に置くというユニークなもの。地元住民は、「意味は分からへんけれど、ずっと続いている」。研究者でさえ、「いわれは不明。ある意味『奇祭』」という謎っぷりだ。意味は分からないまま、脈々と受け継がれている風習。

2組の男女が描かれた板。1組は現代風の洋装で、もう1組は江戸時代風の着物。男性はちょんまげに裃、女性はまげを結っている。

「その名はネムリ神」

過去と現在の男女計4枚が1組となり、御神木2カ所と本殿の裏の計3カ所に置かれていた。
この板は地元で「ネムリ神」と呼ばれており、毎年、元日に行われる神事「シシオイ」で使われる。ネムリ神はその年度の宮当番によって毎年、元日に新しいものに更新されるという。既製品の板を使わず、ヒノキの丸太を割って板にするなど、こだわりがある。

いやいや、不思議な神事があるものですね


そして、地図を見ていると、この山は、板井城跡
そして、南側には上板井の道標があります
その写真をみると、伊能忠敬篠山測量の道の石標がありました

残念・・・下調べが甘かったですね


念のために、板井城も調べてみた
・板井城は山名氏清の家臣である丹波守護代・小林左近将監の居城として知られています。1391年(明徳2年)に起きた「明徳の乱」で氏清が敗れると、丹波守護に細川頼元が、守護代には小笠原備後守成明がつきました。のちに足利義満から山名氏はこの地に復帰を許されると、以後60年にわたって山名氏が支配しました。戦国時代には山名小太郎が城主でしたが、明智光秀の丹波攻めにより1578年(天正6年)に落城したと伝えられています。現在城址には天満神社があり、土塁の遺構を確認することができます

うん? 土塁の遺構、あったかなぁ?

久しぶりの神社探訪・・・
調べの甘さで、見逃したところが多く、残念ですが、またまた走ろう、動こうという心がメラメラと燃えてきております











2023年2月22日

味間奥の二村神社・・・兵庫県篠山市味間奥280

二村神社・・・兵庫県篠山市味間奥280です
この二村神社一の鳥居のそばには、文保寺の石標もあります
文保寺への道と同じというか、同じ山間に位置します


二の鳥居

二村神社由緒

当社は味間地区七ヵ村の惣社として古来より氏子の崇敬を集めてある。由緒によれば室町時代の文明十四年(1482年)、延喜式内社である見内の二村神社で座争いが起こった際、神宝、神器が周辺の各村に持ち帰られ、味間には御神体が御輿によって運ばれたとされる。御神体はまず西古佐村字イミノ木に仮の社を築いて安置されたが、のちに、味間村字松本に社殿を築きここを永年の鎮座地としたとある。当神社にはその時、御神体を運んだと伝えられている御輿が今も遺され西古佐のイミノ木はこれを契機に神興谷と称される。
二村の社名は、この座争いの神宝分散の経緯により見内の二村神社に則ったものと見られ味間二村神社の歴史はここを発端するのであろう。
当神社の主神は伊弉諾命と伊弉再命である。 明治41年に御霊神社のほか五社が合祀される。 特に記するべきは明暦二年(1656年)に境内地に祀られた波多野秀治の御霊神社である。・・・二村神社由緒案内板より引用


           二村神社祭礼

二村神社は、もともと古市地区の見内にあり、その氏子は、かつて篠山市西部の広い範囲に及んでいました。 1482年、 神事の座席争いからご神像争いへと発展し、 真南条村と味間村には新たにそれぞれ二村神社が建てられました。 味間では10月第2日曜日に山車と太鼓御輿 が、真南条では10月第1日曜日に太鼓御輿が繰り出され、 祭礼が行われます。



拝殿と社殿

拝殿正面より







拝殿と本殿の彫物師は異なりますね

梁?を支える力士





       寛保四(1744)と読める



二村神社の座争いで分散された、二村神社は全て参拝してきました
昔の人々の争いとは、着座位置という、どちらが上か下かということで起きたということで、考えれば、たわいもないことかと思えますが、当時は大変なもめ事だったのですね