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2015年4月9日

壹鞍大明神・・・通りすがりに!・・京都府綾部市十倉志茂町

最近、中井権次の足跡を巡ってますと、私、以前になかった行動に出るようになりました!
我ながら、えぇぇ・・・!と、思っています・・・
目的地へ「カーナビ君」の指示で走っていると、「カーナビ君」に表示される神社名、又、道標にて示される神社・・
ふと、見つける神社・・・うん?と閃いた神社を、参拝して回っている自分がいます・・・

壹鞍大明神もその一つ・・・です!
八幡宮を参拝し終わり、次に向かって走っています・・・ふと、見れば、八幡宮と同じ造りの鳥居が街道沿いに建っています!
これは、参拝対象?ですよね・・・・・・!

いや、お見事な、鳥居・・大型の木造両部鳥居で、親柱を礎石の上にたて、前後の控え柱で支える形式の鳥居、年代は不詳である・・
笠木のそり増しや神額の大きさなど全体の美しさ重厚さは八幡宮に負けません・・そして、石灯籠も・・・残念ながら年代は分かりません・・・
参道から見た、鎮守の森・・・手前のフェンスは公園!
立派な社務所?ですね
本殿・・覆い屋で守られている・・
見事な彫物が施されてはいるが、彫り師は不明・・・

鞍岩の伝承・・・
凡そ今から六百年の昔、応永元年(1394年)6月19日洪水の夜、壹鞍神社の神様が濁流に押し流された。ところが幸いな事に川の中あった馬の背の形をした岩のところでやっと止まった神様は、はい上がろうとして岩に生えていた「うらじろを掴んだが抜けて上れなかった。そこで神様は「ささ」をつかんで岩の上に上られたと言い伝えられている。村人は岩の上にあった神像を十倉山の麓に祠を建て壹鞍大明神としてお祀りし、此の神聖な地を「鞍岩」と呼びしめ縄を張り不浄を禁じたのである・・氏子総代謹書から引用

左右、脇障子・・・裏にも刻銘はなかった!
鳳凰、力士、龍・・見事な彫物だが・・・

本殿下の石灯籠・・・

年号の刻銘は・・・
寛延二巳巳六月・・・1749年
徳川幕府九代将軍徳川家重の時代である
なかなかの神社で御座いました・・ググってもほとんど資料がない・・・
でも、石灯籠の年号といい、鳥居といい、彫物といい・・・言い伝えといい・・・参拝、成功です!

では・・・先を急ぎます・・・


追記:4月9日参拝

追記: 2017年11月1日 中井権次一統の足跡と判明 再訪と、ラベル、中井権次の足跡に追加しました






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