日蓮宗の方丈型本堂としては大阪府最古の本堂を始め、庫裡鐘楼などが木立にいだかれるように配される、近世寺院の佇まいを良く残している・・・
表門・・地黄城の武家門の遺構と言われている・・一間薬医門 切妻造本瓦葺
桁行16.88m 梁間11.75m 入母屋造向排一軒、鉄板葺(もと茅葺き)
病を除いてくれる仏様として最も信仰をあつめたのが薬師如来である。・・・省略・・・ 石材は花崗岩、地上高140cm 像容を刻出する面は高さ60cmの舟形輪郭を彫り込んでいる 造立は鎌倉時代後期の薬師如来座像と考えられる |
鐘楼・・・残念ながら、石段通行止め・・下よりズームで・・
桁行一間、梁間一間、入母屋造鉄板葺(もと茅葺き)
能勢頼次以来、一族代々の墓碑が建ち並び立つさまは、見事という言葉は不適切ですが、圧巻されます・・この静かな景観の山寺に、これほど数の、一族代々の墓碑が建ち並び立つことなど、想像さえできません・・
能勢家墓地の五輪塔十三基、宝塔四基、笠塔婆二十五基、板碑二十七基は府指定文化財に指定されている・・・
能勢地方は、東部はキリシタン大名の高山右近の影響もあってキリスト教徒が多かったが、中部と西部は真言宗の寺院が多かった。頼次の領地は真言宗の寺院が中心であった。頼次は能勢妙見山を篤く信奉していたことから、能勢一帯の神社仏閣を日蓮宗に改宗させている・・領民に対する改宗の強要も強引なものだったらしく『能勢のいやいや法華』の言葉が伝わる。・・・Wikipediaより引用
妙見山、本瀧寺も、慶長十年、法華経祈願道場となる・・と、備忘録に記しましたが・・・同時期みたいですね!
さぁ、野間、地黄コースもいよいよ、残すところ2ヶ所・・行きましょう・・
追記:訪問日 4月27日
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