大阪府茨木市から能勢郡豊能町野間へ所用の途中・・発見?したのです!
延喜式内神社・・・と、なれば、参拝しなければという・・・習性が身についています(^^;)
当社はもと小玉神社といった。明治四十年に東能勢村にあった八つの神社をこの場所に合併して走落神社と名付けた。元々、走落神社は切畑にあり、寛平元年(889年)藤原氏が創立したといわれ、延喜式神名帳の巻一にのっていて、現在でも「式内社」と、いって由緒ある神社である。 |
現在の走落神社の本殿は藤森神社の本殿を移築したものであるが、三間社流造の立派な建築である。 この本殿は江戸時代中期寛文ごろの様式で、柱、斗栱海老虹梁、妻飾などの古材がよく残っているのが珍しいと・・ 脇障子を欠く三間社流造は他には大阪市杭全神社本殿(室町時代、重要文化財)に例があるのみとのことである |
木代走落神社石灯籠
この燈籠は、合併の折、余野にあった天武天皇宮から移されたものである。 銘文は「大婦天皇御宝前」「正徳元年(1711年)九月吉日」とある。天武天皇宮は柏尾宮、大武天皇宮と呼ばれていたので、大武を大婦の字にあてて表したと思われる |
由緒に出てくる、脇障子を欠く三間社流造は他には大阪市、杭全神社本殿(室町時代、重要文化財)・・とある・・ぜひ、行ってみたいものです!
備考:訪問日 4月27日
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