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2015年4月12日

多田神社・・・兵庫県川西市多田院多田所町!

兵庫県川西市の多田神社・・・この付近では有名な神社です
私も、場所、神社名は存じ上げていますし、神社前の道もよく、商用、所用で通ります・・・しかしながら、参拝は未だ!
一つの理由は、車道狭く、交差もギリギリですから、迂回しますし、正直「P」の位置も知らなかったのです

なんで、今回、参拝することにしたか、宝塚市の素戔嗚尊神社など、巡っていますと・・
由緒に、多田庄とか、いろいろ多田神社に纏わる文言、事柄が出てくるのですよ・・
・・・と、いうことで、行ってみましょうと・・!

猪名川を挟んで、南側の県道12号線の鳥居をくぐり、神橋を渡ります・・写真右下は車は通行可です!

川を渡り、県道130号へ橋の前が多田神社への参道です!

なにやら、うん?凄いかもと思わせる、雰囲気が感じられます

参道の石段を上がると、南門、重要文化財!です 
・・・三間一戸の八脚門で、法華三昧寺のもとの仁王門、屋根は本瓦葺き

指定文化財解説板
本殿・・重要文化財 寛文七年(1667年)
拝殿・・重要文化財 寛文七年(1667年)
随神門・・重要文化財
南門・・重要文化財 
東門・西門・・県指定文化財
六社神社本殿・・県指定文化財
厳島神社・・県指定文化財
本殿内宮殿・・
本殿内厨子・・
神輿・・
史跡:多田院 指定理由:国史上貴重な地域・・・

当神社は、元、多田院とも亦多田大権現社とも称えた大社でありまして、御祭神は第五十六代清和天皇の御曽孫贈正一位鎮守府将軍、源満仲公を首め頼光、頼信、頼義、義家の五公を奉齋する所謂源氏の祖廟であり、源家発祥の地である・・・説明板より引用

謹告・・・清和源氏同族会長
--前半、上部と同説明につき、省略--
その流れを承ける源氏の者として是に光栄であり、当社内に源氏同族会が結成されていると
源氏の流れを汲む者又は源家に由縁ある諸氏の入会を勧めている・・・

・・・いや、源氏・・凄いことです!
日本において皇族が臣下の籍に降りる(臣籍降下)際に名乗る氏の一つであるのですから・・・


隋神門・・・重要文化財
三棟造りの八脚門で、本殿、拝殿を結ぶ中軸線上に立つ、屋根は本瓦葺き
本殿、拝殿と同時期の建立と思われる


拝殿・・・重要文化財
寛文七年(1667年)の建立、桁行七間、梁間山間の入母屋造り檜皮葺きの屋根

いい姿ですね・・・立ち並ぶ石灯籠も、時代が各々違いますね

拝殿

本殿・・・重要文化財
寛文七年(1667年)の建立、正面七間側面三間の社殿、内部は内陣、中陣、外陣の三区にわかれる、入母屋造り檜皮葺きの屋根

拝殿、右手より本堂を見る・・・本殿の全体像は撮影が難しいです

拝殿、左手より本堂を見る・・・やはり、本殿の全体像は撮影が難しい!

この本殿奥に源満仲、頼光両公の御神廟がある、又、足利尊氏公以下、足利歴代将軍の分骨も収められていると・・・

拝殿の左に咲く・・・キャプテンロー
寛文年間旧多田院の檀家薩摩藩主島津家より贈られた唐椿で、現在国内最大のものである。中国雲南地方より南の亜熱帯地方に原産とする樹木で開花は四月上旬頃である・・・説明板より

神馬舎・・・

神輿庫・・・

写真左下:社務所 写真右下:儀式殿

東門・・・県指定文化財
柱間3.6m 屋根切妻造本瓦葺 建立年代は寛文七年 木割りの大きい雄大な高麗門である
主柱の架構が鳥居様であり、控え柱上の屋根妻が正面から見えているのは高麗門では珍しい扱いである。江戸時代における多田院再興の遺構として重要である

西門・・・県指定文化財
建築様式などは、東門と同様である

摂社、六所宮・・・県指定重要文化財
・・・伊勢大明神、賀茂大明神、稲荷大明神、春日大明神、住吉大明神、熊野権現の神々を祀っています

旧多田院の鎮守社として、また多田荘72ケ村の総社として鎌倉期に創建された神社である。
現在の社殿は室町後期に再建された三間社造りで建築様式、組物、蓑束、懸魚等の細部手法は非常に貴重である・・・説明板より引用


厳島神社・・県指定文化財

祭神:市杵嶋姫命
旧多田院では、「弁財天女」とも呼ばれ古くより厚い信仰を集めています。
社殿は一間社造り 室町後期に再建されたものです。


田尻稲荷神社・・・


旧多田荘の田尻より移築され、社殿は、一間社流造で全面に彩色が施してあります




「P」は西門の下にあり、「P」より見上げた桜も美しいものです

まだまだ、沢山、写真はあるのですが・・・
長文になりました・・・

そうそう、ここの「P」は勿論有料ですが、「P」に「α君」を停めると、どこからか、係り員さんが出てこられます・・・
川西、猪名川、能勢、宝塚各々の神社仏閣巡りも楽しいそうです

追記:4月2日参拝







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