ページ

2015年4月1日

赤淵神社・・中井権次一統の足跡を巡って・・兵庫県朝来市和田山町!

中井権次の足跡を巡っています・・赤渕神社です!・・・2015年3月27日の参詣です・・・
日吉神社から、距離で3.5km・・又々、円山川を、山陰本線を跨ぎ、県道104号線を進みます

鳥居の前につきました・・うん?
この風景、覚えがある・・・何時かは思い出せないが、この付近に仕事できた記憶がよみがえってきました!・・・
あぁ、恐ろしきかな・・現地に来ないと思い出せない、和田山町は来たことがあるのは覚えているのだが、この赤淵神社の付近だったとは・・・いややね!歳は取りたくないね!!
考え方ですが、鳥居の前に来て、・・・
うん?・・来たなぁ・・っと、思い出したことも褒めてあげようかなぁ・・近頃、物忘れがひどいしね!

赤淵神社・・
赤淵神社の祭神は大海龍王神、赤渕足尼神、表米宿彌神の三神です
赤渕足尼命は表米宿彌命の祖神です
神社略記によると、大化元年(645年)、表米宿彌命が丹後、白糸の浜に来襲した新羅の賊を討伐した際、沈没しかけた命の船が海中から浮かび上がった無数のアワビに助けられたので、命はそのアワビを持ち帰り、赤淵神社に祭ったとされています。大海龍王神は海神でアワビを使い、難を救う神であるといわれています。その後、赤淵神社の祭礼にはアワビの神事が行われ、近隣では今でもアワビは食べない風習が残っています。・・・案内板、説明文、引用
赤淵神社 楼門・・
赤淵神社 楼門・・朝来市指定文化財
この門はかって当社の神宮寺であった神淵寺の山門であった。創建年は不詳。現在の門は、文政十三年(1830年)に多数の貴捨により、再建されたものである。
威風堂々とした佇まいで、随所に丹波柏原の彫物師中井権次による見事な彫刻が施されている。二階には高欄を巡らし、内部にはかって大般若経が納められていた。この門をくぐると除疫福徳があると伝えられる。・・・案内板より引用
なんんで、青色がかっているのか?・・デジカメ、壊れたか?
龍・・表面

龍、裏面には・・彫物師 丹波柏原住人 中井権次橘正貞・・・とある!
楼門の部位の写真は下部でまとめています・・・m(_ _)m

随心門・・・

なにやら、すごい門が見えますぞ・・・・!
三十塔心柱礎石・・
勅使門・・朝来市指定文化財
勅使門とは、勅使が神社に参向する際、勅使の通行に用いられる門である。創建年は不詳。現在の門は、寛政十一年(1799年)に多数の貴捨により、再建されたものである。
円柱の丸柱に、前後二本ずつの控え柱を立てた四脚門方式で、材質にはケヤキが使用されている。扉の上部に見られる鳳凰の透かし彫りや、木鼻、蟇股など見事な彫刻は、丹波柏原の彫物師、中井丈五郎、久須善兵衛によるものである。・・・説明板より引用
勅使門・・正面
勅使門・・扉の上部に見られる鳳凰の透かし彫り

拝殿・・・

赤淵神社 本殿・・・
本殿は室町時代(1336~1573年)初期に建てられたもので、三間社流造、こけら葺、桁行4.8m、梁間3.1m、正面と両側面に高麗付縁を巡らせている。身舎内部は内陣と外陣に分かれ、正面に格子をはめ、中央には階段を設けている。再三改修のあとはあるが、蟇股、懸魚、妻窓などに当時の建築様式を残している・・案内板より引用
本殿・・覆い屋にて様子がつかめません・・・保存するためです、仕方ないことです!
左から文政十一年(1821年) 中:安永三年(1774年) 右:享保九年(1724年)の年号の刻銘が読める

狛犬・・円座に座っている・・刻銘は不明・・


楼門の部位・・・

下の写真は小サイズで掲載しています・・・クリックいただければ大サイズになります!

勅使門の透かしの戸・・・・扁額
社務所前の石庭・・・
と、いうことで、本殿が拝めないのは、残念です・・・
ググっていくと、和田山郷土資料館に赤淵神社のパンフがあるらしい・・・
機会があれば、伺いたいものですが・・・・(^^;)

では・・・中井権次の足跡を巡って・・観音寺へ、参ります・・・





0 件のコメント:

コメントを投稿