2014年11月に、「国宝、二王門の光明寺」を知り、伺いたいと!・・・しかし、日本海、舞鶴市の南の山中!
勿論、積雪はあり・・冬はダメ!・・雪解けを、待っていました・・・
で、その間、中井権次一統を知り、光明寺の本堂も、その中井権次の足跡がという・・・なな、なんということでしょう!!
と、いうことで、光明寺・・・・・・二回に分けて、備忘録を記します・・・・
まずは、「国宝、二王門」・・・です!
この、光明寺にたどり着く道は、君尾山の「α君」一台しか、通れないような、林道?なんです!
地図、調べてもそれしか出てきません・・・ ・・・しかし、実は、もう一つのルートがあったのです! それは、二王門の下の「P」に着き、二王門、本堂へと向かうか・・・ 本堂下へ到着して、本堂を参拝して、二王門まで、山を徒歩で下るかなんです・・・ 後で、気が付いたのですが、「カーナビ君」に光明寺の住所入力すると、本堂、寺務所の場所示しますからね・・・ |
写真下:農道?を走ってきて、一番奥のところからいよいよ山へ入ります・・・
その林道を、本堂下まで・・・落石があり、倒木もあり、枝、垂れ下がり、杉の枝葉が散乱して、ここで、対向車が万一来たら、どうしようか?と・・ヒヤヒヤしながら、ヘッドライトON、それもアッパーで・・・窓を開け、カーブ毎にクラクション鳴らして、徐行で登ります・・・
どれくらいかかったでしょうか?・・時間は計測していませんが、デジカメの撮影データから・・
およそ、13分、約4kmの道のりです・・めちゃ、長く感じました・・・・(^^;
写ってはいませんが、右、二王門、左、本堂・・と、あります
写真左下:本堂からの参道・・下り 写真右下:二王門からの本堂への参道・・・登り
この道はそれほどではないが、つづら折りの地道が続く・・写真ではわかりづらいが、結構急なのです!
その左右は、坊が立ち並んでいたかのような、段々になっている・・私感!
この二王門は、永年風雪に耐えてきたため大破寸前の状況であったが、昭和二十五年から解体修理を行い、宝治二年(1248年)の墨書銘と棟札との発見によって鎌倉時代の建築であることが明らかになりました。修理はなるべく古材を用い、用材はほとんど杉材であります。屋根は栗の板で葺いた栩葺で全国的にも珍しく、三間一戸二重門の均整のとれた姿であります。府北部雄一の国宝建造物です・・・案内板より引用 |
右の説明板は、残念ながら、文字、消えていますが・・明治?京都府の文字はかすかに分かります
二王門から下へ降りていくと、お堂が・・・・
本堂へ戻る際・・・下界?を・・・山並みがキレイです・・(*^_^*)
追記:私が通った道は、日常、光明寺さんのご住職一家の方々、修理屋さん、郵便屋さんが通る生活道です・・
それと、途中から分かれますが、君尾山キャンプ場がありますから・・・夏は利用される方は多いかも・・・・失礼、ご容赦を・・・m(_ _)m
追記:2015年4月9日 訪問
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