・・・2015年3月27日、参詣です!・・・
朝来市の當勝神社から、本来なら北近畿豊岡自動車道、遠阪トンネルを通る道を「カーナビ君」は選択します・・・しかし、熊野神社は、元の遠阪峠を下ったところに位置するため、その遠阪峠を通ります・・そこは国道427号線・・トンネルができたので、峠も車両が少なく、ユッタリ走れて、快適です!!
そこは国道427号線を右折したところに鳥居があります・・本来の参道はここかもしれませんね!
巨木が見えます・・・熊野神社です・・
御祭神 「伊弉冉命」 熊野神社は、通称「今出熊野権現」とも呼ばれています。 社伝には、亀山天皇(1259~1274年)の時代、今の社より約2km奥の井尻谷の神篭り滝という処へ紀州の熊野神社から分霊を勧請しその後長禄三年(1459年)現在の地に遷座す。 命の神とも崇められ、健康長寿を願う参詣が多かった。現在においても各地より病気平癒をご祈願に参詣される。・・案内板より引用 |
巨木が立ち並ぶ参道・・その横に、「趣意書」が・・・
社殿は永い歴史の中で、老巧化し、痛みも激しく、もはや、神社会計の財源では到底対処できない・・ 昭和四十八年、青垣町の無形文化財に指定された「裸祭り」を後世万世に伝えるために、斎行に相応しいとして調える・・ 協議を重ね、社殿最も必要な箇所より修復することになった・・御奉賛を願うと・・一部省略、抜粋しました |
棟札によれば、その本殿は、長禄三年(1459年)建立とあり、一間に三間の三社造であったが天文二年(1533年)再建され、更に元和八年(1622年)屋根の葺替がなされたことが記されている。
社殿の形式は、流造で平入り切妻造の前面が長く伸び、階段を隠すいわゆる階隠しになっている・・
社殿の千木は女神を表す内削になっており、 堅魚木もしつらえられている。 この本殿には彫り物が無い・・ともある・・・丹波市資料より引用
下の写真は小サイズで掲載しています・・クリックいただければ大サイズになります
写真左下:兎の毛通しには、 鳳凰が・・
舞堂・・
お祭りは、裸でヨイサ・オイサの掛け声勇ましく、本殿と舞堂の間を七回半駆け足で往復し、続いて、神宝奉還の神事の後を追って舞堂を 三回めぐった後、 御幣の奪いあいをし、身の守りとして持ち帰るのである。その起源は明らかではないが、その仕草から鎌倉時代と考えられる・・説明板より引用
舞堂、堂内・・祭りの奉納写真がたくさん飾られている・・・
拝殿前の灯籠と、狛犬・・・灯籠には、文化三年(1806年)と読める・・・
狛犬は室町時代・・と、由緒案内板に説明があるが、この狛犬のことか、判別できなかったです
巨木に囲まれた、命の神、熊野神社・・・すてきです・・
裸祭りの時は、氏子の方々で賑わうことでしょうね!!
養父市の満福寺、朝来市の大蔵神社、日吉神社、赤淵神社、観音寺、予定外の竹田城?、當勝神社、そして、熊野神社・・・を巡ってきました・・圧巻の中井権次の足跡でした(*^_^*)
これで、本日の中井権次の足跡を巡っては、予定どうり終わりましたm(_ _)m
さぁ、つぎなる予定をたてなければ・・・
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