・・・平安後期、多田満仲の一族が能勢に入部して土豪化してのち国基になって能勢郡を領有、はじめて能勢氏を名乗り、西方の丸山城を本拠地とした・・・と!
国道477号線・・東郷バイパス・・地黄城跡前は旧道・・その、東郷バイパス沿いの小高い山が、丸山城跡・・・
管理人さんい聞きました・・・能勢町は観光事業に力を入れている・・・山肌を伐採して、山城を演出しようと・・頑張っていますね!
しかし、こちらからはまだ、登山できません・・未完成かも!
仕方なく、次の目的地「清普寺」へ向かいます・・・
この「清普寺」の門前に「α君」を停め、振り返ると・・・丸山城跡です!
標高278m、比高40mの丸山に築かれた中世能勢氏の居城。城跡は南北155m、東西30mの規模で、南北に細長く配された郭などの遺構がよく残っている・・と・・・
しかし、道がない・・よく、見れば、その桜の木の下にハシゴらしきもの・・
もしかしたら、あのハシゴが目当て・・・と、いうことは、畑のあぜ道を通っていくのかいな・・?
では、参りましょうか・・しかし、今日は所用のため、革靴・・・気をつけて歩きます・・・
ここ「丸山」はという丘陵地は鎌倉時代の頃より能勢氏の本拠地として武威を振るった中世山城の丸山城址である。 ちょうど、大手口付近にあたるところに層塔と宝篋印塔(延文五年-1360年)とがならんで東面して造立されている。 本塔は能勢町内の石造文化財中、最も古いもので、今から715年前である・・・省略・・・ |
石造九重塔
石材は花崗岩製で、相輪が九輪の五輪目を残し、その上が欠失して下に転落している 鎌倉時代 弘安十一年(1288年)総高 309.4cm 大阪府有形文化財指定 この九重塔の手法はおそらく、大和西大寺に属する名工石工集団の製作であろうと云われている・・ |
この田のあぜ道を歩いてきました・・・(*^_^*)
いやぁ・・歴史が感じられますね・・石造九重塔・・鎌倉時代 弘安十一年(1288年)・・
すごい年月、風雪に耐えて立っているのですね!!
さぁ、清普寺へ参りましょう・・・!
追記:訪問日 4月27日
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