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2017年11月18日

島根県への旅・・・松江城二の丸、興雲閣、松江神社

島根県をふたり旅しています…
…松江城の天主閣を拝見する前、二の丸跡にある、興雲閣、松江神社を拝見します
下図、赤丸がその位置…

…松江城二ノ丸に建つ明治建築の洋館・興雲閣…

明治36年(1903)に完成した県内に残る数少ない明治建築で、明治40年(1907)、皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)のご宿泊所としても使用されました。
正面には車寄せがあり、周囲を豊かな装飾で飾る柱を配した優美な造りです。戦後は各種展示会場、市教育委員会庁舎などに転用された後、『松江郷土館』として
郷土の歴史・民俗資料などが展示されました。平成23年(2011)3月に閉館し、階段室を移設し て現在の形態となった明治45年に復原(ふくげん)するとともに、建
物そのものの持つ歴史と魅力を生かした新たな活用のため、平成25年度から平成27年 度にかけて保存修理工事を行いました
1階玄関ロービーより2階への階段・・・
2階、広間へ
…貴顕室…
明治四十年(1907)、皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰道行啓にあたって、同年5月22日から25日まで御旅館となり、迎賓館としての役割を果たしました
内部より車寄せを…



・・・松江神社…
松江神社は、明治十年(1877年)に、旧松江藩の有志により、西川津村(現松江市西川津町)楽山に松平直政を御祭神とする楽山神社として創建された。寛永五年(1628年)、
堀尾忠晴が朝酌村(現・松江市西尾町)に創建した東照宮の御神霊を明治三十一年(1898年)、合祀し、翌年の1899年(明治32年)に、現在地の松江城山二之丸に遷座して、神社を松江神社と改めた。1931年(昭和6年)に、松江藩中興の明主として仰がれた七代藩主松平治郷と、松江開府の祖堀尾吉晴の遺徳を称えて御神霊を配祀し、今日に至っている
主祭神・松平直政(松江松平家初代藩主)
合祀神・徳川家康(東照宮)
配祀神・松平治郷(松平家七代藩主)
配祀神・堀尾吉晴(松江開府の祖)

松江市、マンホール…
松江城下に唯一現存の武家屋敷の長屋門と石畳を図案化し 「MATSUE・CITY」「OSUI」とアルファベットで囲んでる

松江城の二の丸跡…もう少し、ゆっくりと、拝見したかったのだが…
なにせ、ふたり旅…先先と、進むので、向こうの方で、睨んでいます…「はよっ!」・・て!

はい、はい、 行きましょうか…松江城天主閣へ……

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