京都府亀岡市の文化財を巡っています・・・
京都府亀岡市上矢田町上垣内22-2、鍬山神社・・・京都府登録文化財です
府道6号線を走り、近道をしようと、脇道へ入ると・・・その道になんと、鳥居が出現・・・
ここは、参道ですね・・・恐れ多いので、鳥居の左側を走りました・・・m(_ _)m
・・・こちらも、七五三です・・・
鍬山神社
・・・当社は、和銅二年(709)に創祀されたと伝えられる古いお社で、鍬山大明神または矢田社とも呼ばれていました
平安時代に著された「延喜式」 神名帳にも丹波国桑田郡十九座の一つとして記載されています
社伝等によると、亀岡盆地が湖だった頃、大己貴命(大国主命)が 黒柄山に八人の神様を集め一艘の樫船に乗り一把の鍬で浮田(請田)の 峡を切り開き、肥沃な農地にされたと伝えます
里人はこの神徳を称え 天岡山の麓にお祀りしたのが始まりで名前も開削に使った鍬 が山積みになったことから鍬山大明神と呼ばれました。
また、鍬山大明神の横に祀られている八幡宮社は、永万元年(1165)に 誉田神が降臨され、以後祀られることとなりましたが、 両宮の社殿が現在地に建立されたのは慶長一五年(1610)亀山城主 岡部長盛の時です。
なお、当社で行われていた神事芸能の一つに、現在の能楽の源流の一つ ともなっている「丹波猿楽」があり、平安京はもとより摂津・河内など 各地に出向いて活躍していましたが、天正四年(1576)明智光秀の丹波進攻 の混乱により悉く廃れたと言われています。
その後、歴代亀山城主が神領等を寄進するなど保護に努め、徐々に祭礼 が復興しました。
十月二四・二五の秋の例祭は、十一基の山鉾が出て祇園囃子を奏で、 口丹波の祇園祭としても親しまれています。この山鉾行事も藩主と 町衆が一体となって守り伝えてきたものです。
・・・案内板より引用
拝殿・・・
・・・・紅葉の名所としても知られていると・・残念ながら、少し時期は早いかったですね・・・
京都府登録文化財 鍬山神社 本殿・境内社八幡宮本殿(江戸時代)
・・・陽が落ちてきました・・左上から、逆光で~す!・・・
左が、鍬山神社 鍬山神社 鍬山宮 右が、鍬山神社 八幡宮(客神)
向かって、左側の社殿・・・鍬山神社 鍬山宮(主神)
和銅二年(709)社殿を建立と伝えられる
寛正年間の棟札が現存し、現今の桧皮葺の権現造の社殿 文化十一年の官営とある
向かって右側の社殿・・・鍬山神社 八幡宮(客神)
現今の桧皮葺の権現造の社殿 文化十一年(1814)の官営とある
いや、見事な権現造・・・紅葉の時期では、社殿も又、違った景色を望めるのでしょうね・・・
しかし、逆光の撮影方法、勉強しなければ、現像が大変です・・・
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