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2017年11月27日

島根県への旅・・・古代出雲歴史博物館です

島根県をふたり旅しています・・・

出雲大社参拝を終え、神門通りを散策し・・・最後は、ここ、古代出雲歴史博物館です
立派な建物ですね・・・
この古代出雲歴史博物館は、なんと、撮影OKなのです・・・但し、フラッシュ、三脚、自撮り棒はダメ・・・
・・・粋な計らいです・・・(*^_^*)


中央ロービーです・・・
出雲大社巨大本殿の柱、宇豆柱・・・重要文化財です
建築年代は鎌倉時代(1248年) 柱の直径:平均130cm 年輪の数:195年
・・・平成12年から13年にかけて、出雲大社境内遺跡からスギの大木3本を1組にし、直径が約3mにもなる巨大な柱が3カ所で発見されました・・・


・・・出雲大社と神々の国のまつり・・・




平安時代の出雲大社本殿・・・
・・・10世紀に「雲太」ともよばれる高さ16丈(約48m)という高大な本殿があったあという学説に基づく模型です・・・

凄いね・・・ロマンですね・・・

金輪造営図・・・千家国造館蔵

出雲大社の屋根にあった千木・勝男木・・・
・・・1881(明治14)年遷宮の御用材で、1953(昭和28)年遷宮の際に撤下されたものです
なお、奥の千木はレプリカです
千木:長さ830m/幅62cm/厚さ24cm/重さ 約500キロ
勝男木:長さ545cm/最大径67cm/重さ 約700キロ
材質:スギ
・・・右横の方と比べたら、大きいですね・・・


三重塔
1527(大永七)年、戦国時代尼子経久により出雲大社に寄進された三重塔です
その後、この塔は、出雲大社が1667(寛文七)年の造営の際、本殿造営の柱材を提供された返礼として妙見山(当時は日光院抱)に提供されました
建立当初の部材にはマツやケヤキが用いられ、どの位置の部材かを示した墨書が残されています
明治になって三重塔は名草神社の所蔵となりましたが、この度、歴史資料として保存されていた当初の部材 が、名草神社から島根県に寄贈され、約350年にの里帰りが実現しました
養父市、名草神社・・・中井権次一統の足跡で、参拝の折り、三重塔、拝見しましたね・・・
2015年7月5日 http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2015/07/blog-post.html


・・・青銅器と金色の大刀・・・
入口、床に映し出されている、銅鐸・・・うん!! なかなかですね!

荒神谷遺跡出土銅剣摸鋳品

・・・荒神谷遺跡・・・
1984~1985年の2か年の発掘調査で、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土した。
1998年に一括して「島根県荒神谷遺跡出土品」として国宝に指定されている
案内の方に教えていただきました
・・・展示品で、板の下部に丸があるのが、摸鋳品 無いのが、本物・・・(*^_^*)


国宝・・・「ウミガメが描かれた銅鐸」 弥生時代(紀元二~一)

国宝・・・「シカが描かれた銅鐸」 弥生時代(紀元二~一)

国宝・・銅鐸!

出土の様子のパネル・・・

「卑弥呼の鏡」か
銅鏡 古墳時代(3世紀) 重要文化財

金銅装双龍環頭大刀
古墳時代(6-7世紀) 重要文化財
発見時には鞘から刀身が引き抜けた、と記録に残されているようの、まれにみる良い保存状態で出土しました
鞘木、柄木の多くは腐らず原形をとどめ、刀身は古代の輝きを今も失っていません


加茂岩倉遺跡から銅鐸が! 荒神谷遺跡から、銅剣358本、銅鐸6個、銅矛16本が出土したことは、新聞記事で知ってはいましたが・・・展示室に入り、実際に目の当たりにすると・・・
・・・圧巻でした・・

出雲大社の由緒、銅鐸、銅剣など弥生時代の出土品など・・・出雲地方はすごい場所ですね・・・
・・・いや~・・・また、来たくなりますね・・・!

写真下は、今回のお宿・・・半日、「P」させていただき、出雲大社、神門通りを散策いたし古代出雲歴史博物館を拝見いたしました・・・
このお宿、リーズナブルで、オープンが2017年7月ということで、キレイなお宿で、温泉も満喫いたしました・・・よき、お宿でした・・・
評価は、5点満点で、4.5点ですね・・・ふたり、大満足です・・・(*^_^*)


さて、古代出雲歴史博物館を出ると、どうでしょう・・・青空です!
帰途の予定ですが・・・この天気、昨日訪れた、日御碕灯台へ、きっと、灯台に登ることができるよ・・・行ってみようと・・・

では、日御碕灯台向かいます・・・(*^_^*)




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