この篠山市藤坂地区へは、県道300号線を走ります・・・そう、三度は通った道です
その時は、中井権次一統の足跡を巡っていましたので、国指定重要文化財があることさえ知らず・・m(_ _)m
しかし・・・今、新たな資料を発見して、国、市、町、指定重要文化財を巡って・・と、いう、今までの目的+新シリーズ?で走り回っています!
・・・新たな発見の連続です・・・(*^_^*)
国指定重要文化財・・廃真如寺妙見堂へ参りましょう・・
道標・・・長谷寺妙見堂・・・
場所、分からず、居合わせた、プロパンガス配達の方に・・・知らないので、聞いてみます・・と!
配達された、そのお宅に入っていきます!
そして、出てこられた家の奥様に・・・道、お聞きしました・・・親切に教えていただきました!
前の藤阪川の川を渡り、金網の戸で閉ざされているの開けて、登ります・・・施錠はされていません!・・・猪、鹿の浸入防止ですね!
・・・この付近はこのようになっていますから・・って!
ここは、妙見堂への登り坂の途中にあります・・・舗装された参道です!
創建後は江戸時代の宝暦年間に大規模な修理が行われ、縁回り床下・建具・屋根などが改修された
平成元年七月から二年九月にかけて解体修理を実地して建物は建立当初の姿に概ね復元された
また、剥落していた塗装を塗り直し、軸部・組物・軒廻りなどは、丹土塗り、壁板は白土塗り、格子戸・欄間などは黒塗りとなって鮮やかに蘇った・・・案内板より引用
この案内板の説明・・・詳細で、中身濃く、素晴らしいです・・・一回では理解できませ~ん!
丹波篠山五十三次の説明を付加すると・・・
真如寺は、北条家時の子孫と言われる上村氏の建立で、江戸中期に廃寺となったが、その鎮守社で山名氏寄進の妙見堂は残ったという。
一間社流造りの神社建設で、間口2.1m、奥行き1.9m(庇の部分も含めると3.9m)、高さ4.9m。長押やつなぎ虹梁、軒回り材が細く、屋根の勾配も緩やかなため、繊細で軽快な外観である
斗供・懸魚や柱の特徴のほか、応永六年(1399年)の大般若経奉読の板が現存することから、室町初期から中期の建立とされる・・・
・・・丹波篠山五十三次引用
妙県堂・・・
妙見大菩薩・・と、あります
大芋名所No11・・と、ある・・・うん? これは、調べなければ・・・(*^_^*)
ググってみました・・ ありました・・・篠山市立大芋小学校の子供達による大芋名所の看板を造っていました そして、その大芋名所30選マップも、PDFで掲載しています そのMAPのPDFを貼り付けたいのですが・・・断念! いや、すごいね・・・機会をみて、見てまわります! ・・・ありがとう! ・・・m(_ _)m |
奉懸 虚空蔵菩薩像 末尾 文久三(1862年)と、僅かに読める・・
妙見堂の前の巨木・・・
・・・・帰り道はこの木の左手より、旧参道を降りましょう・・・・
妙見堂までの道を教えていただいたお宅の、門・・・いいすね!
すばらしい建物ですね・・と、お話しすると・・時代はわかりません・・と、笑っておられました..(*^_^*)
妙見堂の案内板の説明文より、組物の新たな名称を知ることができました・・・神社建築、寺院建築用語は難しいです・・・(^_^;)
その都度、調べるのですが、なかなか、理解できないのが現状です・・・
より、掘り下げていっていきそうな自分がいますね!
まぁ、これも、勉強、知識としてね・・・・頑張りましょう・・・!
案内板より抜粋、引用・・・
図面、そして、各部位の名称まで、書かれている案内板もそう多くないですね!
参拝日:2月26日
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