秋、行楽の時季、行先は山口県萩市、島根県津和野への2泊3日の旅・・
国指定史跡・・・萩城跡を巡ります
宿の窓より、朝6時20分の景色・・・
無風、べた凪・・・今日もよき天気のようです・・・
指月山・・・萩城跡、この頂上付近にも櫓跡があるようですが・・・登りません!
左下の土塀は、二の丸土塀・・・楽しみです
二の丸東門から入ります
振り返れば、萩八景遊覧船乗り場が奥に見えます
はじめ、剥製かと思いました・・・他の観光客さんも同じように眺めていました・・・
じつは、本物の「鳥」・・・名前わかりませんが・・・微動だにしないのです
その距離、4mあまり・・・人慣れか? それとも、眼中にないのか? 無視か?
・・・時打矢倉跡・・・
本丸門です・・・
国指定史跡・・萩築城の由来と構造
慶長五年(1600)毛利氏は関ケ原の戟に敗れた結果中国地8か国の領地を削られ周防、長門(現在の山口県)2か国36万9干余石の領主に移封されました。
そこで輝元は居城として防府、山口、萩の3か所を候補地として徳川幕府の意向を伺い、萩指月山麓に築城することになりました。
慶長九年(1604)着工、同十三年竣工。これより文久三年(1863)第十三代藩主敬親が藩府を山口に移転するまでの260年間、政治の中心地でありました。
明治七年天守閣、居館を解体しました。
萩城は平山城の形式に属し阿武川デルタの根元を横断し外堀とし、その外を城下町とし内を城郭とした。外堀の内に三の丸を置き、中堀を堀って二の丸を設け、二の丸の内側に内堀をめぐらして本丸を指月山麓に構えた。
さらに指月山頂には詰丸を設けている・・・入場券パンフより引用
中央が天守閣跡石垣
石垣の上に登って、天守閣跡へ・・・
天守閣跡へ・・・
天守閣跡・・・
本丸の南西に当る位置に高さ14.4m下層は東西19.8m、南北16.2mの5層の天守閣がありました。
最上層は勾爛をめぐらした桃山初期の形式を示す白亜のもので、初層が石垣の外に張り出し俯射装置として利用できるようになっていました
天守閣跡から本丸門方面を眺める・・
萩市指定文化財・・・花江茶亭(自在庵)
もと藩主毛利敬親の別邸にあつた茶室を明治20年頃移築したものてす。
幕末の頃敬親が茶事にことよせて家臣とともに国事の密議をこらした場所て有名です
この場所は藩主居館の奥書院にあたり、庭石、池、築山は当時のものです
旧梨羽家茶室(煤払の茶室)
東郊中津江にあつた寄組士梨羽家(3干2白石)の別邸茶室で、城内煤払のさい、藩主が一時居館を出てここに休んだことからこの名があります。
全国的にまれな花月楼形式のすぐれた茶室です
庭石、池、築山は当時のもの・・・
志都岐山神社
拝殿
明治12年萩の有志が山口にある豊栄、野田両神社の分社として建てたものです
毛利輝元を主祭、元就、敬親二公を配祀とし、他の代々の藩主は合祀してあります
ここは、大河ドラマ「花燃ゆ」のロケ地です
万歳橋・・・
藩学明倫舘孔子廟の池にかかつていたものを移したものてす
潮入門跡・・・
二の丸土塀(銃眼土塀)・・・
・・・宿から眺めた土塀ですね・・・
二の丸は東西153間、南北58間で、その内に13の矢倉、井戸34か所、蔵元役所などがありました。
東門から潮入門に至る城壁が続いておりましたが、この土塀は昭和40年春一部復元したものです
ここは、大河ドラマ「花燃ゆ」のロケ地です
土塀前から眺める・・・じつにキレイです(釣り人がいますね)
指月山・・・山頂には詰丸跡(見えませんが想像です)
指月山頂にあり、陸と海への監視のための望楼であった。頂上の平地を石段で区切り上段を本丸、下段を二の丸として,各々の石垣の上に城壁をめぐらし、矢倉もあった。
いまは、石垣、矢倉跡、水溜め二ケ所が残っており、昭和41年城壁の一部、水溜めを復
元整備され往時をしのぶ貴重な存在となっております・・と!
南門跡・・・
毛利輝元公像
毛利輝元は、天文二十二年(1553)毛利隆元の長男として安芸郡吉田郡山城(現、広島県安芸高田市)に生まれた。戦国時代中国地方の覇者となった毛利元就の孫にあたる。
中国地方8ヶ国112万石を領有する大大名に成長し、天正十七年(1598)広島に居城を築いた。
慶長五年、毛利氏は関ケ原の戟に敗れ周防,長門(現在の山口県)2か国36万9干余石に削封された。輝元は居城を萩に選定し、同年11月11日、萩城へ入城した
萩開府にあたって、城下町の建設を推し進めるとともに、萩藩経営の安定に腐心した。
寛永二年(1625)73歳で没し、萩城三の丸(堀内)の天樹院に葬られた
萩城模型
指月公園の名でもある萩城跡・・・なかなか見応えのある城跡でした
天気よければ、最高ですが・・・冬、厳しいでしょうね!
入場料、観光客は210円(長屋門入館料含む)、萩城跡は、萩市民は無料です
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