秋、行楽の時季、行先は山口県萩市、島根県津和野への2泊3日の旅しています・・・
・・山口県萩市、堀内地区重要伝統的建造物群保存地区を巡ります・・
いよいよ、萩城下町を歩きます・・・相当な距離を歩くことになりそうです
・・・堀内地区重要伝統的建造物群保存地区・・・
近世城下町の武家屋敷の地割りを残す土塀の連なる町並みが続きます
堀内は旧萩城三の丸にあたり、毛利輝元が慶長十三年(1608)に指月山に城を築き、町割をおこなったことに始まる。保存地区は堀内のほぼ全域で、藩の諸役所(御蔵元・御木屋・諸郡御用屋敷・御膳夫所・御徒士所)と、毛利一門をはじめとする大身の武家屋敷が建ち並んでいた。近世城下町の武家屋敷としての地割が今もよく残り、土塀越しに見える夏みかんとともに歴史的風致を形成している。
現在も、地区内には永代家老の益田家の物見矢倉など10数棟の武家屋敷が残ります・・・萩市観光協会より引用
萩城跡から南門を通り、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋を訪れます
国指定重要文化財・・旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
国指定重要文化財
厚狭毛利家は、毛利元就の五男元秋を始祖とする毛利家の一門です。
結石高8371石余のうち、主として厚狭(現在、山口県山陽小野田市)に知行地を持ち、ここに居館を構えていたので、厚狭毛利と呼ばれました。
厚狭毛利家萩上屋敷は、萩城の二の丸南門の南100メートルの要地にあり、面積約1万5500平方メートル(約4700坪)の広大なものでした。屋敷地の中にあった主屋や庭園などは、明治維新前後に解体されてこの長屋のみが残っています。
この長屋は昭和41年(1966)6月に国の重要文化財に指定され、翌42年7月から解体修理に着手し、43年11月に完成しました。解体修理の際に発見された棟札から、長屋は10代元教(のち元美)の代、安政三年(1856)5月に建てられたことがわかります。用材はすべて領地の厚狭で調達され、切り込みを施したうえ記号と番号をつけて、海路萩まで送ってきたといわれています。
建物規模は桁行51.4メートル、梁間5.0メートルと長大な構造で、現在萩市内に残っている武家屋敷長屋の中で最も大きく、屋根は入母屋造り本瓦葺きで、出格子5か所、格子窓6か所を設けています。内部は東の座敷(部屋数10)、中の座敷(部屋数6)、物置(土間、二階造り)、西の座敷(部屋数3)および板の間の5つのブロックに分かれています。各座敷は、厚狭毛利家の家臣たちの詰所になっていたものと思われます。
また、西の端にある板の間は中間部屋で、昭和43年の解体修理の際に復元しました。・・・配布パンフより引用
表側
内側
展示品・・・毛利輝元肖像
展示品
萩城模型
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