秋、行楽の時季、行先は山口県萩市、島根県津和野への2泊3日の旅しています・・・
山口県萩市の文化施設を巡っています・・・伊藤博文別邸を訪ねます
実は、正面玄関の写真を取り忘れたいたようです・・・SD 内に、無いのです
と、いうことで、パンフでご容赦を・・・
「P」から見上げる、伊藤博文別邸、離れ座敷の二階部分
長州ファイブ・・・
・・・文久三年(1863)、英国に密航留学した長州出身の五人の若者たち
伊藤博文(春輔)・井上馨(聞多)・山尾庸三・井上勝(野村弥吉)・遠藤謹助一
伊藤博文別邸・・・
別邸は、伊藤博文公が明治40年(1970)に東京都下荏原郡大井村に建てたもので、車寄せをもつ玄関の奥に中庭をはさんで向かって右に西洋館、左に書院を配し、さらにその奥に離れ座敷、台所、風呂及び藏を備えた広大なものであった。当地へは往時に面影をよく残す玄関、大広間、離れ座敷の3棟を移築した。明治時代の宮大工伊藤万作の手によるもので、大広間の鏡天井、離れ座敷の節天井など意匠に優れている
離れ座敷、一階の奥座敷の床の間・・
・・・掛け軸は、伊藤博文書でしょうね?・・・菊屋家住宅で拝見した書体と同じです
離れ座敷、二階
玄関の間付近より 石灯籠
・・・笠部分にある「紋」・・・説明員さん曰く、天皇家ゆかりの紋と・・
萩市指定史蹟 伊藤博文旧宅
この建物は、最初、水井武兵衛(伊藤尚右衛門)の居宅せあったが、安政元年(1854)に博文の父十歳が一家をあげて伊藤家に入家してからは、博文の居宅となった。ここで、吉田松陰の門下に入って教育を受け、志士として活躍した。
明治元年(1868)に兵庫県知事に赴任するまでここを本拠とした。
その後、明治憲法制定の任にあたってその功を遂げ、初代内閣総理大臣に就任するなど政府の要職を歴任した
またまた、写真が無い! 萩市観光協会サイトより引用いたしました
萩市文化財施設を巡ってきました
一軒、100円が必要ですが、全部を周るのであれば、一日券がお得!
・・・なんと・・・300円です
対象施設の内、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋は、萩城跡の入場料に含まれますが・・・
私・・・全部、拝見いたしましたので、大変リーズナブルでした・・・よ!
萩市文化財施設拝見も少々、体力がいりますね・・・
伊藤博文別邸までは、「α君」での移動ですが、それまで本日、歩いた歩数は・・・
なんと、17652歩でした・・・頑張りました
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