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2018年11月19日

山口県萩市への旅・・No14、菊屋家住宅・・ 山口県萩市呉服町1丁目1

秋、行楽の時季、行先は山口県萩市、島根県津和野への2泊3日の旅しています・・・
・・・国指定史跡・・萩城城下町を巡ります・・


国指定史跡・・萩城城下町・・・


萩城三ノ丸中総門の東外を、東西に通ずる中心路である呉服町の通り(通称御成道)と、その南を東西に走る慶安橋筋の2本の東西路に直交する菊屋横丁・伊勢屋横丁・江戸屋横丁に囲まれた区域。萩藩御用達の旧家、幕末に活躍した侍屋敷等の面影が残る。1967年に国の史跡に指定された・・・



・・・御成道・・・
左が久保田家住宅、右が菊屋家住宅

絵図・・・中央を行列が進んでいる・・・御成道、メインストリート・・


宿にていただいた、鸞興巡幸図・・・説明文が記されている
・・・江戸時代終わり頃の安政五年(1858)萩藩の絵師、大庭学遷筆・・・


      国指定重要文化財 菊屋家住宅を訪ねます

長屋門



国指定重要文化財 菊屋家住宅 五棟(主屋・本蔵・金蔵・米蔵・釜場)

菊屋家は慶長九年(1604年)毛利輝元の萩入国に従い山口から萩に移り、城下の町造りに尽力して呉服町こ屋敷を拝領しました。
また、阿古ケ浜に藩士や足軽衆のための惣固屋を建てて住まわせたので、阿古ケ浜を菊ケ浜と称するようになりました。
 その後、代々大年寄格に任命され、藩の御用達を勤めて参りました。
屋敷は度々、御上使の本陣を命ぜられ、その他御究場所、恵民録役所等、しばしば藩の御用宅に借り上げられていました。従って先祖代々“我家は私有であつて然様でなし〝と常に御用屋敷としての体面整備に配慮して、屋敷建物を大切に維持してきたことから「全国でも最古に属する町家」として重要文化財の指定をうけています。



主屋、本蔵、金蔵、釜場、米蔵の五棟が国の重要文化財指定を受けています。
美術品、民具、古書籍等500素点をそれぞれの部屋に常設展示してあり、その他の附属建物、庭園等を含めて、往時の御用商人の暮しぶりがしのばれます。


御正門・・・御上使等はこの門より入ると・・

そして、庭中央の駕籠置石に駕籠を置き、縁側から入室されたと・・・

この座敷床の間には「伊藤博文公」直筆の掛軸がありました・・・撮影禁止!
そのほかに、雪舟の絵などが展示されていますが、全て撮影禁止のため・・残念です

伊藤博文公からの柱時計
この時計は明治四年(1871)特命全権岩倉使節団が欧米視察を行った際、のちに初代総理大臣となる伊藤博文公がアメリカで買い求めた時計(アメリカ合衆国コネチカット州セット・トーマス社製)アメリカ土産として菊屋家が頂いたもの

説明員さん曰く、現役ですと・・・
丁度、13時前でしたので、その時報を聞くことにいたしました
そして、13時、見事に時報が成りました・・・約147年前造られた時計の音でした~
カウントダウンの世界でした・・・
振り子?の部分の絵がまた美しいです



重要文化財 菊屋家住宅 秋の新庭特別公開されていました


屋敷の奥にある広大な庭・・・松も大きいです

新座敷

その座敷をガラス越しにパチリ・・・恐らく、身分高き人が座したのでしょう

なにげなく飾られている、床の間の掛け軸・・・
備忘録記する際に、菊屋家住宅のサイトから、所蔵品の説明をみていると・・・
円山応挙 筆 「懸崖瀑布図」の説明があります

うん? この掛け軸かも?  いや、絶対、そうでしょう・・・

見事な庭園です 紅葉も徐々に進んでいっていますね!

    なかなかの石灯籠ですなぁ!


豪商の見事なお屋敷でした ふと、足下見れば・・

・・・道案内・・・

菊屋家住宅の五棟が、国指定重要文化財でしたが、なにやら広すぎて撮影禁止の絵展示品を見るのに精一杯で、写真も数少なく・・・残念です






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