ページ

2018年11月17日

山口県萩市への旅・・No12、青木周弼旧宅・・山口県南古萩町

秋、行楽の時季、行先は山口県萩市、島根県津和野への2泊3日の旅しています・・・
・・・国指定史跡・・萩城城下町を巡ります・・


萩城城下町・・・
萩城三ノ丸中総門の東外を、東西に通ずる中心路である呉服町の通り(通称御成道)と、その南を東西に走る慶安橋筋の2本の東西路に直交する菊屋横丁・伊勢屋横丁・江戸屋横丁に囲まれた区域。萩藩御用達の旧家、幕末に活躍した侍屋敷等の面影が残る。1967年に国の史跡に指定された・・・


・山口県南古萩町、青木周弼旧宅を訪ねます(赤枠)

江戸屋横丁、木戸孝允旧宅より南へ僅かです

国指定史跡萩城萩城下町  青木周弼旧宅

この家は、藩医(西洋内科)で蘭学者であった青木周弼の旧宅である
安政六年(1859)に建てられたものと考えられ当時の様子をよく残している
青木周弼は、大島郡和田村(現周防大島町)に医家に生まれ、藩主毛利敬親の侍医や医学館の館長を務めた。日本屈指の医者として全国的にも知られ、各地から集まった多くの弟子を育てた。また、村田蔵六(のちの大村益次郎)が萩藩を出仕したときは、親代わりとなり世話をした



藩医(西洋内科)の住宅らしく? 落ち着いた雰囲気の座敷です



青木周弼旧宅について
青木周弼は幕末当時、日本屈指の蘭学者でした。彼のもとには全国から学生が多く集まるようになったため屋敷地を安政六
年(1859)頃、現在の場所に移転しました。以前住んでいた背中合わせの土地には弟の研蔵が住み、学生たちが寄宿していました。この建物は、江戸屋横町に面した表門・仲間部屋、主屋と土蔵からなります。
 主屋は来客用の部分と内向き(日常生活の場)とに分かれています。
玄関からまっすぐ繋がる南向きの8畳の座敷は来客用です。座敷の北側6畳の間は、家の主人の内向きの座敷です。
さらに北側には台所もあります。また、西側には便所がありますが元々は別棟だったと考えられます。
仲間部屋は青木家の家来が住んでいたと考えられます。3畳と4畳半の2室があり、これに勝手が付いています。
土蔵の床下からは平成2年(1990)に、約1200枚の1分銀が発見されました。
この銀貨の包みには周弼の弟である研蔵の署名「青研」があったので、現在青木家の子孫の方が所有されています。・・・配布パンフより引用


係員さん曰く・・・空き地?庭は、薬草畑だったらしいです・・・




0 件のコメント:

コメントを投稿