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2017年6月2日

福岡城跡・・・福岡県福岡市中央区城内!


福岡城跡・・・黒田官兵衛の足跡を訪ねて、やってきました・・・
名護屋城跡は、2014年12月、立ってもおられぬぐらいの寒風の中、天守台に立ちました!
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2014/12/blog-post.html

そして、本日、福岡城跡は、快晴・・・

豊前国中津十二万石から筑前国福岡五十二万石に移封された初代藩主黒田長政が、慶長六年(1601)から7年がかりで築城した城で、舞鶴城ともいう
平山城で、天守閣はなく大中小の各天守台と47の櫓があったという・・・ 本丸、二の丸、東二の丸、南二の丸、三の丸で構成された内城部分で413900㎡、城下の武家屋敷まで含めば2460000㎡もの広大な規模を持つ城郭である
現在、内城を中心とした48万㎡が国指定史跡である





「P」をした場所が・・・

現在の地は三の丸の「松ノ木坂御門跡」へ続く入口にあたり、ここから二の丸、本丸、天守台と城内を登っていくルートの一つでした
ここ三の丸には、藩主を支える家老たちの屋敷群がありました

・・・案内板より引用


天守台か?・・見えてきました・・
裏御門跡
本丸跡・・
天守台へとある・・・

大天守台跡・・とある・・・礎石がありますね・・・


天守台から、福岡の街を見渡します・・・
左側の丸いドームは、福岡ヤフオクドームか? 

大濠公園がみえる・・・行ってみたかったですが・・・(^^;)
・・・右隅にそびえる塔は、福岡タワーのようですね!
裏御門跡を天守台よりみる・・
埋門跡

そう、ここで、迷いました・・・
多聞櫓へいくルートの表示がわかりづらく、石垣の間を行ってしまいました・・・
本来なら、もう一つ、右下の道を進むのです・・・

多門櫓・・・国指定重要文化財

南丸(二の丸南郭)にある国指定重要文化財の多門櫓は、江戸時代から城内に残っている数少ない建物の一つです
二階の隅櫓とそれに連なる三十間の奥行きをもつ平櫓からなります
高く積み上げた石垣を土台に築かれ、「石落」が備えられていることから、いざというときの防御のための櫓と考えられています
また、現在のの多門櫓は後世の改修を受けたものと考えられ、平櫓は嘉永六年(1853)から翌年にかけて建て替えられたものです
なお、平櫓の内部は、一般に突き抜けの状態となっていることが多いなか、本櫓では十六の小部屋に別れています・・・案内板より引用



水ノ手御門跡・・

水ノ手御門跡を出て、城外より国指定重要文化財、多聞櫓を・・・
・・・石落がはっきり見ることができますね・・

反省・・・広大な福岡城跡、下調べが不十分で、残念ながら、見落としが多々ありました・・(>_<)

しかし、黒田藩、これだけの城跡にしては、城の建造物が残っていないのも、不思議なもので、廃城令の取り壊しで消し去ったのですね・・・残念ですが!!

今は、舞鶴公園としての役割が主のようです・・・・(*^_^*)



Wikipedia、その他資料より、記録として、追記です

江戸時代初頭、関ヶ原の戦いで功績のあった外様大名の黒田長政が、慶長5年(1600年) - 黒田孝高・長政父子は関ヶ原の戦いの功績により豊前国中津16万石から、筑前一国52万3千石で筑前名島に入封した。筑前の旧領主小早川秀秋の居城であった名島城に入城した。便宜上から名島城を廃し、福崎丘陵を新城地に選定した。
慶長6年(1601年)には築城が開始され、7年後の慶長12年(1607年)に竣工した。博多を望む警固村福崎の丘陵地に築いた
それ以降は明治まで福岡藩黒田氏の居城となった

築城の際に、福崎を黒田家ゆかりの地である備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市長船町福岡)の地名にちなみ「福岡」と改めた
福崎丘陵に築かれた平山城。普請奉行は野口佐助一成である。
城地とされた福崎丘陵(那珂郡警固村福崎)は、博多と那珂川を挟んだ西側に位置する。

現在、城跡には現存櫓や移築された櫓や城門、復元された櫓や城門が点在し、南二の丸多聞櫓とそれに続く南二の丸南隅櫓は国の重要文化財に、伝潮見櫓・大手門(下の橋大手門・渦見門)・移築復元の祈念櫓・母里太兵衛邸長屋門が福岡県指定文化財に、名島門が福岡市文化財にそれぞれ指定されている。
また、南二の丸多聞櫓に続く北隅櫓が復元されている。なお、平和台球場跡から出土した国史跡鴻臚館跡がある三の丸跡は二重史跡である









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