山口県防府市を旅しています・・・
・・・山口県の旅も、いよいよ、最後の訪問地、国指定重要文化財、周防國分寺です・・・
周防國分寺とは・・・・
後世、寺領の減少や維新後の寺院制度の変革等により、その規模は縮小され、現在では往時の遺構遺跡と建造物の一部を残すのみになったが、今なお仁王門をくぐると荘重な大金堂がある。
ここには多数の国宝的仏像が安置されており、他の歴史的文化財と共に宗教上、学術上の一大宝庫をなしており、旧態を現存することにおいては、全国国分寺中極めて稀である。
本尊は創建当初丈六の釈迦如来であったが、奈良時代の終わり頃から平安初期には薬師如来に替わっている。
寺格は現在高野山真言宗に属する別格本山である。
本寺がこうして旧格を維持し、歴史の各時代にまたがる豊富な霊仏至宝を保存してきたことは、実に聖武天皇の聖徳と歴代天皇の信仰の賜であり、また周防国府の力や大内氏、毛利氏の歴代国主の崇仏保護が非常に厚かったからである。
多数ある寺宝の中で後奈良天皇宸筆般若心経及び金堂、並びに堂内の薬師如来、日光・月光菩薩立像、四天王立像及び持仏堂内の阿弥陀如来坐像など、八躯が国の重要文化財に指定され、国分寺旧境内は史跡に指定されている。・・・案内書より引用
仁王門(楼門)である・・・
残念ながら、写真はこれぐらいしか、撮影できませんでした・・・仁王さん、・・・m(_ _)m
二層入母屋造り、桁行七間、梁間四間、棟高18m、本瓦葺き、建坪116坪
荘重な二層入母屋造の仏殿で建坪百十六坪余、堂内の須弥壇は桃山時代のものと伝えられている。
往古のものは応永二十四年焼失したので応永二十人年大内盛見が再建した。
現存の仏殿は安永八年(1779)毛利重就の建立したものである。
内陣には大小五十余躯の仏像が安置されて丁度古美術飴の観がある。
須弥壇上中央には丈六の薬師如来が本尊として安置され、そして日光菩薩、月光菩薩の立像が両脇侍として控え、その前に十二神将が護持し、壇の四方には四天王四躯が守護の座についている。
この外堂内の左右並びに後堂には阿弥陀如来立像をはじめ多数の仏像が処せましと安置され荘厳この上もない
・・・配布パンフより引用
いや~! 見事な建造物、金堂ですね・・・大きさに、圧倒されます・・・
楼門脇の巨木・・・
金堂を裏側から・・・
聖天堂・・・秘仏聖天像を祀る・・開運、商売繁盛などあらゆる願望、悩みを救ってくれると・・・
ググってみました・・・金堂内、拝観できたようですが・・・
山口県山口市、防府市を旅してきました・・・
・・山口市・・ある御仁の影響で、長州藩、吉田松陰関連をよく見聞きする機会が増えていました・・
幕末から明治維新の出来事が、人物が、この地に居たこと・・うん!うん!と、一人頷きながら、案内板やパンフを読んでいました・・・
萩・津和野は、いまだ、未踏の地ですが、今回の山口市、大内家、毛利家の遺構がほとんどですが・・・
いやいや、すてきな地です・・・もう一度訪ねてみたい気持になりました・・そう、機会あれば、嫁、連れてこなければ・・・とね!
と、いうことで、山口県山口市、防府市のを旅を終わります・・・m(_ _)m
帰途、下松パーキングエリア・・・遅めの昼食を・・・
・・・見た目、皿うどん・・・でも、なかなか、おいしかったです・・・(*^_^*)
参拝日:2017年5月25日
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