・・・五百羅漢、住吉神社、酒見寺と・・一箇所にまとまっているような・・・
酒見寺は泉生山と号する真言宗寺院で、行基菩薩の開山と伝えられています
堂々たる、酒見寺楼門・・・市指定文化財
天正年間、他の諸堂とともに焼失したたと寛永十九年(1642年)に再興されたらしい 現在の楼門は、棟札銘から文政八年(1825年)に近郷の工匠のてによって再建されたことが知られている 上層周囲に縁をめぐらした、三間一戸の楼門で、入母屋造、本瓦葺である 虹梁、丸桁、木鼻などの細部にみる絵様繰形や柱上の斗栱組物、それに蟇股などの形式手法は、江戸時代後期、文政頃の技法をよく伝えている この楼門は、本堂、常行堂、多宝塔、それに鐘楼とともに、酒見寺伽藍の一環をなすものとして、貴重な遺構である 建立年代が明らかなうえ、当時、広く活躍したであろう、宇仁郷住の棟梁、神田左衛門の作である点、この種、建築の地方的特性を知る好標本として価値のある建物である ・・・案内板より引用 |
・・・・いつも、目の当たりにして思うのだが、千社札は、止めてほしいね・・私感!
国指定重要文化財・・酒見寺多宝塔 酒見寺は泉生山と号する真言宗寺院で、行基菩薩の開山と伝えられています 天正年間(約400年前)、兵火にあって焼失し、その後再興されたのが現在の伽藍です この多宝塔の建立時代は、相輪に寛文二年(1662年)の刻銘があり、さらに上層の柱にも寛文二年の墨書がありますので、この時代の再建と考えられます これら多宝塔は密教系の塔形として平安時代から建立され、真言宗では、南天笠の鉄塔の形も模し、大日如来または密教の五仏を本尊とするのが一般的とあるといわれています 県下においては、この種の多宝塔は、7ヶ所の寺院に現存し、加西市においては、国正町の東光寺の多宝塔がその類したものとして現存します この塔の内部には、四天柱や来迎壁には、両界諸仏、外陣脇間には真言8碑祖を、その他全面に装飾文様をそれぞれ極彩色で描いています |
酒見寺金堂(根本堂)
酒見寺金堂(根本堂) 本尊 十一面観世音菩薩 脇士 多聞天、持国天 金堂は泉生山酒見寺の総本堂というべき山内の根本となるお堂で諸種の法要がこのお堂で・・・不明・・・ 当山は聖武天皇の勅願寺として歴代天皇の帰依深く中でも平治元年(1159年)回禄の変の際には一山悉焦土と化しましたが二条院様の御朱印を賜い、叉、播州にては姫路城主池田輝政公以来姫路城の守護寺として栄えた播州の名刹であります・・・案内板より引用 |
さらに、ググると・・・池田家の転封後は本多忠政の援助を受け、寛永年間(1624~43年)に幕府の命を受けた実相院降恵が再興した。さらに江戸幕府3代将軍徳川家光が朱印寺と定め、代々将軍から朱印状を下附されて隆盛するなど、これまで天皇や幕府、藩により厚く保護されてきた・・・Wikipediaより引用
賽銭箱、燈籠など、丸に三つ葉葵が・・・と、いう意味がわかるというものですね!
県指定文化財・・・酒見寺鐘楼
いまの建物は、東側面石隅斗横に寛文四年(1664年)の墨書があり、多宝塔に続いて建立されたことがわかる 袴腰付鐘楼で、外観は各部の釣合がよく整っている 外部は全面に彩色が施してあるが、当初は丹塗りであった痕跡が随所にみられる 和様を基調とし、部分的に唐様を混合した様式をもつ とくに上重柱間腰の弓連子は、唐様を取り入れた珍しい意匠である 高欄も唐様であり、県下における数少ない鐘楼建築の建造物として重要である・・・案内板より引用 |
引聲堂(阿弥陀堂、安産堂)
本尊:阿弥陀如来 このお堂では、毎年九月十日夜本尊開帳より一週間引聲会式が行われます この法要は寛文八年(1011年)比叡山より慈覚大師により酒見寺に伝えられたもので、全国的にも数少ない珍しい法要です 阿弥陀経を独特な節にてお唱えし、本尊の廻りを行道し別名廻り経とも呼ばれています・・・案内板より引用 |
向拝・・彫物、虹梁、龍、木鼻・・みごとですね!
このお堂は、真言宗を開かれた弘法大師を本尊とするお堂です |
酒見寺は神仏習合時に住吉神社の神宮寺であったとある・・
この酒見寺、住吉神社・・・すばらしい、社殿、伽藍が、隣接しているのは、拝観するものにとっては、最高ですね・・m(_ _)m
参拝日:3月29日
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