中井権次一統の足跡の木梨神社があります・・・この中国道より、北の探索が多く・・加東市内には・・(^_^;)
神社庁の資料によれば・・
・・・垂仁天皇二十三年(紀元前76)の創建と伝えられていますが、この当時は加西の鎌倉峰に鎮座されていました。後、奈良時代の初め養老六年(722)に神託を受けた阿倍野三郎太夫という翁に神託あり、現在の場所にお遷し申し上げたとのことです・・と、あります!
延喜式にも所載の古社であります・・・いや、楽しみです・・・では、早速・・・m(_ _)m
なにか、すべてが、大きいと、いった第一印象です!
当神社の始まりは、第十一代垂仁天皇の御代に創建と伝えられていますが、この当時は、加西の鎌倉峰に鎮座されていました その後、養老六年(722年)に現在地に遷座され、延喜式にも所載の古社であります 当地に遷座された頃は「坂合神社」と呼ばれておりましたが、いつの頃からか佐保神社ど称されるようにななりました 鎌倉時代には、朝廷や幕府の崇敬を集め隆昌を誇り、尼将軍として有名な北条政子は、八丁四方に、内の鳥居、一里四方に外の烏居を造営させました 今でも、その中の一基(酉の内の烏居」は、規在でも社町鳥居地区に地名と共に残っています 室町期に入り、度々の騒乱により一時荒廃いたしましたが、江戸時代に至って姫路城主池田輝政公の祈願所として社領十石を寄せられ、さらに幕府より御朱印社領十石を賜るなど、ようやく復興いたしました |
また明治時代になり、官国幣社に次ぐ近郷唯一の県社の社格を付与されました なお旧加東郡社町の名は、往古より「佐保社村」と呼ばれ、当神社の門前町として発展してきたことに由来し、北播磨の雄として、栄えてまいりました 現在の本殿は延享四年(1747年)に再建されたもので、三間社流造正面千鳥破風・銅板葺で、幣殿・拝殿・瑞神門とともに、華麗な彫刻で飾られております 御祭神は東殿(向かって右)天照大神 中殿(中央)天児屋根命 西殿 (向かって左)大己貴命 の三神であります この他境内神社には、恵比須神社・ 諏訪神社・八幡神社・神明神社・愛宕神 ・金比羅宮・稲荷神社・先宮社・天神社など があります。 また境外末社として若宮舎があります ・・・社頭案内板より引用 |
金網で、完全防備しておりますね!
瑞神門 一棟 参道沿いに建立された三間一戸の楼門造の建物です 銅板葺の屋根は入母屋造で、南面し、その規模は、桁行8.5m、梁間5.8m、高さ10.5mを測ります 扉は設けらておらず、脇間には、随身像と狛犬が向かいあい、備え付けの賽銭箱などから参拝の機能も兼ね備えた建物であると云えます また、上層・下層の2重構造となっていますが、各層の柱配置が一致しないという特殊な構造をしています さらに、外装に花鳥などの透かし彫りがみられ、内部の扉構え上には大きな龍を刻み、その前後の天井一面に雲形を施すことで、強い印象を与え、参拝者が足を止める仕組みが付与されているといえます 本例は、江戸時代後期の華麗な建築手法が取り入れられた、貴重な木造建築であると言えます ・・・説明板より引用 |
内部の扉構え上・・・大きな龍を刻み、その前後の天井一面に雲形を施すと、あります
この龍も、金網で、完全防備しています・・・ね!
拝殿・・・・・・ 桁八間梁四間
明神社・・
中央の大けやき・・・放火されたらしい・・・が、樹勢は衰えず、今でも元気とのこと・・・
この鳥、アオサギの糞害、蜂の巣?から、守るためか?・・金網の設置は?・・私感!
拝殿前の狛犬・・・
瑞神門右横の石灯籠・・・でかい!!
これより、下部は、拝殿、本殿の彫物が並びます・・・趣味です・・(*^_^*)
拝殿・・向拝・・
・・・海老虹梁に、龍の彫物が施されたのを見るのは、初めてです・・・(*^_^*)
向拝、裏面
本殿・・金網越しですが、手挟み、持送り・・、お見事です・・・
本殿、左右脇障子・・・
瑞神門・・・の、狛犬
なにせ、彫物は、金網越しだが、緻密さは、わかりますが・・・写真には不向きです!
社町の古社・・・お見事でした!
参拝日:3月29日
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