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2016年4月7日

2016年春、桜見物・・円通寺・・・兵庫県丹波市氷上町御油!

2016年春、桜見物・・篠山城、常勝寺、近所の本殿修復後の高座神社と巡ってきました!
丹波市山南町谷川から、丹波市氷上町御油の円通寺まで、国道175号線を北上します

永谷山円通寺・・・秋は丹波屈指の紅葉で、多くの方が訪れる寺院です!
勿論、私も紅葉見物に・・・しかし、その人の多さにびっくりした思い出があります!
そして、その時は、中井権次一統の足跡とは、知る由もなく・・・

2016年春、桜見物・・丹波市指定天然記念物の「糸桜」があります
さぁ、参りましょうか・・・


永谷山円通寺の由来

円通寺は、南北朝時代の永徳二年(1382年)正月、足利三代将軍義満が、後円天皇の勅命により創建した曹洞宗の名刹です
年号の首字より「永谷山」、天皇の宝号より「円通寺」と名付け、勅願寺と定めました
ご開山「英仲法俊」禅師は、室町幕府を開いた足利尊氏の第四子、第二世「牧翁性欽」禅師は時の関白太政大臣「近衛通嗣」の第三子にあたります
室町~江戸時代の全盛期には、200有余の末寺を有し、丹波、摂津、但馬、播磨にかけて君臨しました
天正時代、織田信長に命を受けた明智光秀の丹波攻めでは当地方の寺社仏閣がことごとく焼かれる中、豪士荻野喜右衛門の働きにより兵火を免れたと伝わります 第四十世「日置黙仙」禅師は、明治政府の廃仏毀釈政策に対し、敢然と仏教の興隆と円通寺再建に尽力、後に大本山永平寺貫主、曹洞宗管長に就任しました
ご本尊は、南北朝の合一を祈願して「後小松天皇」が一刀三礼、自ら刻まれ下賜された「如意輪観世音菩薩」です
本堂、庫院などは、江戸時代末期に再建されたもので、当地方最大の規模を誇ります
・・・案内板より引用


・・・山門・・・
左の増長天 右に持国天が、守っております

・・・増長天・・・
反対側の持国天とともに二天として祀られています
この形式は中国から来たとされていますが、江戸時代には二天を守護神として祀るようになった
お寺を守る(仏法を守る)ために祀られています
増長天とは、元来、四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)のお一人で、古代インドで方位の守護神として信仰され、須弥山の四方四州を守る守護神と位置づけられ、その中腹で仏法を守っています
甲冑を身につけた唐代の武将風の姿をしています・・・案内板より引用
  


・・・持国天・・・
反対側の増長天とともに二天として祀られています
この形式は中国から来たとされていますが、江戸時代には二天を守護神として祀るようになった お寺を守る(仏法を守る)ために祀られています

持国天とは、元来、四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)のお一人で、古代インドで方位の守護神として信仰され、須弥山の四方四州を守る守護神と位置づけられ、その中腹で仏法を守っています
甲冑を身につけた唐代の武将風の姿をしています
唯一、兜をかぶっています ・・・案内板より引用
     

山門をくぐり、左右の放生池の間の石段を・・・紅葉時期はこの石段が人・人・人・・

塀の五本線と二つの家紋・・

塀の五本線は、天皇家との所縁を表します
本堂の屋根や襖、庫裏の襖などに「円に二引きの紋」近衛家の「近衛牡丹紋」が多く見られます
これは、ご開山は足利尊氏の第四子「英仲法俊」、第二世は関白「近衛通嗣」の第三子「牧翁性欽」であることによります
永徳二年(1382年)正月、後円天皇の勅命によって将軍「足利義満」が、この寺を建て、初代、二代と武門と公家の最高位の子弟をおくりこんだことは、当時の容易ならざる事情が伺えます・・・案内板より引用

門跡寺院の証ですね・・・


本堂・・
・・幅が十二間、奥行きが七間・・・木造建築としては当地方最大の規模を誇ります



・・・因みに・・・
平成27年春は、裏山が災害のため、「糸桜」見学不可だったのです・・・
           
           糸桜・・・バラ科 樹齢約二百年
           ・・・本堂裏から、見上げる・・・
          

本堂をバックに・・・
下から見上げて・・・
         クスノキ科 タブノキ 樹齢約三百年
          


本堂・・中井権次一統の足跡です
天保年間(1840年頃)の再建時に彫刻が設れられたようだ・・と!
唐獅子、獏、麒麟の聖獣、虎・・・が、幅、十二間の軒下に並んでいます

施無畏殿(ご本堂)
施無畏とは、ご本尊である観音様の異名でもありお参りをする人々の畏れを和らげ、幸せに導いて下さるご霊験があると云われています・・・配布パンフより引用


庫裏

大きいです


円通寺大杉

丹波市指定天然記念物の大杉!
「賀茂大明神」の御神木とされます

樹齢約700年
樹高 25m
幹周囲 6m




中井権次一統の世界です
資料によると、当時柏原の彫り物師と云えば六代目中井権次橘正貞の名しか浮かばないらしい








小さく、「柏原」と刻銘されている



円通寺への道沿いの「木蓮」・・春です



中井権次一統の足跡として、訪れる予定でしたが、春の桜見物 そう、円通寺の「糸桜」のおかげで、今回、全部、拝見できました
本堂内は、撮影禁止です・・・一歩入ると、そこは、別世界の空気が漂う本堂内でした

ぜひ、もう一度、伺いたいと思っています





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