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2019年7月16日

東光寺・・・兵庫県加西市上万願寺町392

兵庫県加西市上万願寺町392、東光寺を訪ねます
そして、県指定文化財、東光寺梵鐘を拝見します


左側:若一神社、中央建物:東光寺薬師堂 右側:鐘楼


重要無形民俗文化財 「東光寺の鬼会」

毎年1月8日に、一年の豊作を願う田遊びと、一年の災厄を祓う鬼追いが開催せれます。
これは念頭の修正会の行事として伝承されたきたもので、起源については分かっていませんが、永禄二年(1559)から慶長四年(1599)まで中断したという記録があるため、室町時代の後期には実施されていたことが分かっています。


県指定文化財、東光寺梵鐘


小型ながら姿勢のよく整った美しい曲線をもつ梵鐘である。
乳の間の各区に乳を四段四列に配している。かなり手荒く取り扱った時期があったらしく、上部に窪みや、笠形には小穴があいている。
銘文によるとこの鐘は観応元年(1350)に多可郡安田庄禅光寺の鐘として鋳造され、宝徳三年(1451)に同郡大幡荘熊野三所の鐘となり、文禄四年(1595)に当地に移されてきたことがわかる。
東光寺の前進である万願寺は孝徳天皇期に法道仙人が創建したと伝え、天文七年(1538)に兵火にあって全焼し、その後諸坊の一つであった南房が再建された東光寺と称したという。
この鐘はおそらく東光寺の再興期に移されたものであろう。 ・・・兵庫県教育委員会




いい雰囲気ですね、そして、いい色していますね

東光寺薬師堂

東光寺は、かって有明山満願寺と号し、白雉二年(651)に法道仙人が開いたと伝えられています。
天文七年(1538)に兵火により全山が焼失しましたが、天文九年に子院の南ノ房を再興し、有明山東光寺と号しました。



県指定文化財、東光寺梵鐘・・・
梵鐘の銘文を読もうと試みましたが、なかなか難しいですね
白雉二年(651)に法道仙人が開いたと伝えられている東光寺・・・
重要無形民俗文化財、東光寺田遊び・鬼会

なかなか、興味深い「東光寺」でした










2016年4月20日

酒見寺・・・国指定重要文化財を巡って・・・兵庫県加西市北条!

酒見寺・・・兵庫県加西市北条
・・・五百羅漢、住吉神社、酒見寺と・・一箇所にまとまっているような・・・

酒見寺は泉生山と号する真言宗寺院で、行基菩薩の開山と伝えられています

堂々たる、酒見寺楼門・・・市指定文化財
酒見寺楼門・・・

天正年間、他の諸堂とともに焼失したたと寛永十九年(1642年)に再興されたらしい
現在の楼門は、棟札銘から文政八年(1825年)に近郷の工匠のてによって再建されたことが知られている
上層周囲に縁をめぐらした、三間一戸の楼門で、入母屋造、本瓦葺である
虹梁、丸桁、木鼻などの細部にみる絵様繰形や柱上の斗栱組物、それに蟇股などの形式手法は、江戸時代後期、文政頃の技法をよく伝えている
この楼門は、本堂、常行堂、多宝塔、それに鐘楼とともに、酒見寺伽藍の一環をなすものとして、貴重な遺構である
建立年代が明らかなうえ、当時、広く活躍したであろう、宇仁郷住の棟梁、神田左衛門の作である点、この種、建築の地方的特性を知る好標本として価値のある建物である
・・・案内板より引用

楼門から、金堂をみる・・・
・・・・いつも、目の当たりにして思うのだが、千社札は、止めてほしいね・・私感!
楼門・・上を見上げれば・・・虹梁、蟇股の彫物が・・・!
国指定重要文化財・・酒見寺多宝塔

国指定重要文化財・・酒見寺多宝塔
酒見寺は泉生山と号する真言宗寺院で、行基菩薩の開山と伝えられています
天正年間(約400年前)、兵火にあって焼失し、その後再興されたのが現在の伽藍です
この多宝塔の建立時代は、相輪に寛文二年(1662年)の刻銘があり、さらに上層の柱にも寛文二年の墨書がありますので、この時代の再建と考えられます
これら多宝塔は密教系の塔形として平安時代から建立され、真言宗では、南天笠の鉄塔の形も模し、大日如来または密教の五仏を本尊とするのが一般的とあるといわれています
県下においては、この種の多宝塔は、7ヶ所の寺院に現存し、加西市においては、国正町の東光寺の多宝塔がその類したものとして現存します
この塔の内部には、四天柱や来迎壁には、両界諸仏、外陣脇間には真言8碑祖を、その他全面に装飾文様をそれぞれ極彩色で描いています
また、来迎壁の背面には、享保十三年(1728年)の墨書がありますので、この彩色は、このころまでかけて施されたものといえます なお、外部も台輪、組物、丸桁などに極彩色を施していますが、総じてこの多宝塔は比較的に大型で、上重の輪部の径が下重の総柱間に対して細いこと、上部の亀腹が小造りであることなど前代風をよくのこしているうえに、各部の均衡も安定感のある外観となっています とくに屋根は、上重が桧皮葺、下重が本瓦葺として葺き方を異にしているのは、類例がなk、大変めずらしいものといわれています これら県下における江戸時代初期の多宝塔建築の流を知るうえにおいて、重要な遺構であるといえます ・・・案内板より引用


酒見寺金堂(根本堂)
酒見寺金堂(根本堂)・・・
酒見寺金堂(根本堂)
本尊 十一面観世音菩薩 脇士 多聞天、持国天
金堂は泉生山酒見寺の総本堂というべき山内の根本となるお堂で諸種の法要がこのお堂で・・・不明・・・
当山は聖武天皇の勅願寺として歴代天皇の帰依深く中でも平治元年(1159年)回禄の変の際には一山悉焦土と化しましたが二条院様の御朱印を賜い、叉、播州にては姫路城主池田輝政公以来姫路城の守護寺として栄えた播州の名刹であります・・・案内板より引用

さらに、ググると・・・池田家の転封後は本多忠政の援助を受け、寛永年間(1624~43年)に幕府の命を受けた実相院降恵が再興した。さらに江戸幕府3代将軍徳川家光が朱印寺と定め、代々将軍から朱印状を下附されて隆盛するなど、これまで天皇や幕府、藩により厚く保護されてきた・・・Wikipediaより引用

賽銭箱、燈籠など、丸に三つ葉葵が・・・と、いう意味がわかるというものですね!

県指定文化財・・・酒見寺鐘楼


いまの建物は、東側面石隅斗横に寛文四年(1664年)の墨書があり、多宝塔に続いて建立されたことがわかる

袴腰付鐘楼で、外観は各部の釣合がよく整っている

外部は全面に彩色が施してあるが、当初は丹塗りであった痕跡が随所にみられる
和様を基調とし、部分的に唐様を混合した様式をもつ
とくに上重柱間腰の弓連子は、唐様を取り入れた珍しい意匠である
高欄も唐様であり、県下における数少ない鐘楼建築の建造物として重要である・・・案内板より引用


引聲堂(阿弥陀堂、安産堂)
引聲堂・・・播州酒見寺念仏の道場

本尊:阿弥陀如来
このお堂では、毎年九月十日夜本尊開帳より一週間引聲会式が行われます
この法要は寛文八年(1011年)比叡山より慈覚大師により酒見寺に伝えられたもので、全国的にも数少ない珍しい法要です
阿弥陀経を独特な節にてお唱えし、本尊の廻りを行道し別名廻り経とも呼ばれています・・・案内板より引用
うん?・・・ここ、酒見寺は、真言宗の寺院、比叡山の慈覚大師により酒見寺に伝えられた引聲会式を、宗派をこえて、法要をされるのですね!・・m(_ _)m


向拝・・彫物、虹梁、龍、木鼻・・みごとですね!
本坊・・・
御影堂・・

このお堂は、真言宗を開かれた弘法大師を本尊とするお堂です
金堂の前より参道、左に多宝塔、右に、引聲堂、中央に楼門・・・
酒見寺から、隣接する住吉神社を・・・間には小さな池があり、石橋でつながっているのです!

酒見寺は神仏習合時に住吉神社の神宮寺であったとある・・
この酒見寺、住吉神社・・・すばらしい、社殿、伽藍が、隣接しているのは、拝観するものにとっては、最高ですね・・m(_ _)m




参拝日:3月29日



2015年6月11日

千山寺・・・中井権次の足跡を巡って‥兵庫県加西市上道山!

真言宗、千嶺山、千山寺・・・兵庫県加西市
中井権次の足跡を巡ってやってきました!

山の谷間にこじんまりとした、まるで、お城のような、千山寺
この石段を上がっていくと、山門の下で、千山寺のお婆さんが涼をとっているのか、座っておられました・
私・・・お婆さんに、お参りと、拝観したいのですが‥と、
すると、
お婆さん・・・住職がそちらにいますよ‥って!

で、ご住職が来られて・・・
私・・・中井権次さんの‥っと!云ったら・・・どうぞ、こちらへと、ご案内いただきました!
ちょっと、びっくりです!
で、あれがそうです
と、そこには、立派な龍が・・・

千山寺御詠歌・・・心をはにごさてゝめ 千山寺 清きはらすの 花のちかいに・・・


ご住職、履き物を脱いで、お堂へ上がり、「あそこに、刻銘がありますよ!」‥って
これまた、ビックリです
自分で探すものを、ご説明いただきました!
刻銘 「丹波柏原、中井権次、正貞」とあります・・・(龍の右下)


この巨石は名はないとのことですが、お不動様がお祀りされています
ここで、ご住職が、「まぁ、お茶でも・・と」
おおぉ、ええのかなぁ? では、遠慮無く!!

しばし、山門の涼み台に座り、中井権次の話しに・・・
実は、千山寺の向かいに磯崎神社があって(実はこの次の訪問地)ここの彫物が立派ですよ!‥っと

磯崎神社で、中井権次が仕事をしていて、ついでにこの千山寺も彫ってもらったらしいと!

中井権次の資料に、請負金額などの資料があるらしく、両とか金額の単位があやふやだがと‥ご住職
と、いうことで、聞いた話しでは、たしか千山寺は200両、向かいの磯崎神社は300両
ググってみたら、江戸時代後期、1両は現在では約5万円と、いうことは、10,000,000円
いや、それはないやろね? 単位が違うかも・・・でも、貴重なお話です!

そして、この寺も元はお城だったのではと

そして、現在の寺事情とか、今、賑わっている、高野山のこととか・・
・・・ちょっと、備忘録に記することができないことまで、お話いただきました


山門・・・修復したとのことです
しかし、これはそのままにしていますと、いって、見せていただいたのが・・・

・蟇股の獅子咬み・・・両面、左右にあるではありませんか!
これはこれは見事なもので、山門を通る者に睨みを効かせていますね


と、いう訳で、ほんと、色んな話しを聞かせて頂きました
・・・気が付けば約1時間あまり・・・
お暇をと、いうことで、丁重にご挨拶させていただきました
偶然でしょうが、最近、ご住職とお話させていただいたことが続いています
これも、よき出会い、思い出として、ありがたく思っております・・・m(_ _)m
では、向かいの磯崎神社へまいります

訪問日:6月7日


以下、各部位の写真です

写真下の木鼻の像  眼が悲しそう!

手挟み

山門、修復後の木鼻・・新しいものらしいですが、中井権次一統ではありませんね?

山門、修復後の木鼻・・前のままとのことです