中井権次一統の足跡を巡って、豊岡市へきました
豊岡市出石町内町28、諸杉神社・・・そう、ここは、出石城跡、その城内の北東、鬼門に祀られ、歴代藩主が厚く信仰したのです・・
観光客も殆ど、訪れることのない、静かな場所です
出石城跡といえば、桜の名所、その桜の時期は過ぎたが、まだ八重桜が楽しませてくれ、そして、若葉の緑がなんと美しいことか・・・
諸杉神社・・社頭
諸杉神社由緒
御祭神 多遲摩母呂須玖神(但馬諸助神)
多遲摩母呂須玖神は、新羅国王子天日槍名の嫡子で、母は多遲摩之俣尾の女前津見である。古事記・日本書紀に記される清彦、田道間守の祖で、神功皇后の母、葛城高額比売命の祖である。
創立年月は不詳であるが、延喜式内の古社で、始め出石川側の出石町水上に鎮座していたが、当国の守護山名氏が居城を出石町宮内の此隅山より出石有子山に移すに及び、当社を城下の現在地に移転されたという。累代の出石城主の尊崇厚く、江戸時代小出大和守は長刀を奉献し、松平忠徳は社殿を改造し、宝駕を具え華表を建て、治下瑞泉寺主釈大梅に諸杉大明神記を撰ばしめた。寛保二年仙石政展は社殿を改築し、神饌料五石八斗を寄進し、宝暦二年神霊を勧請し且つ関係諸侯及び有名な宗匠に俳句を求め、扁額として拝殿に奉納された。仙石氏が出石城主のとき、在城の年は年首必ず自ら参拝し、参勤交代の時は帰城の年早々必ず自ら参拝された。明治六年十月郷社に列せられたが、明治九年三月二十六日夜、民家より失火し、社殿は悉く類焼した。これにより明治十五年新たに工事を起こし、明治十七年十月十四日に現在の本殿、拝殿が竣工した。大正十三年四月二十一日県社に列せられる。
本殿建物:正面三間、背面二間、側面二間、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風付、鋼板葺
祭礼:例祭(秋祭)【十月中旬】
境内神社:川下神社 天神社 厳島神社 社日神社 新田神社 三枝神社 八幡神社 稲荷神社 大国神社 稲荷神社
・・・由緒案内より引用・・・
拝殿
本殿を左手から見る
本殿建物・・・
正面三間、背面二間、側面二間、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風付、鋼板葺
・・左は幼児の応神天皇を抱く武内宿禰、右には生母と云われる馬に乗った神功天皇・・
持送り
手挟み・・鶴と波
・・・八代目、中井権次橘正胤の名品とある・・・
拝殿前から両部鳥居越しに見る、中央、社務所、左、手水舎
境内社
丹波新聞コラム、中井一統の技より、見つけ出した、中井権次一統の足跡である諸杉神社
いや、見事な彫物でした・・・
何年ぶりか? 出石城跡・・見学しましょうかね!
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