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2018年4月17日

出石城跡・・兵庫県豊岡市出石町内町

兵庫県豊岡市出石町、出石城跡を歩きます

何年ぶりか? 
いや、2017年8月24日、中井権次一統の足跡を巡って、城跡から北東の、「経王寺」を訪ねました
https://a-shi-a-to.blogspot.jp/2017/08/blog-post_24.html
その時は、夏、暑いとか、時間がとか、色々、言い訳しながら、城跡前を通過していきました

有子山城跡・・・下写真、奥、中央の山頂に展望台?がみえますね・・・
この有子山城跡・・・国指定史跡、続日本百名城選定です

しかし、この時期の山は、実にキレイです・・・紅葉より、新緑のほうが好きですね!
緑色の各色?が、楽しめます


出石城跡・・現在、築城410年を超える、豊岡市指定史跡

出石城は1604年(慶長九)、小出吉英により有子山の麓に築城された梯郭式平山城で、最上 段の稲荷曲輪から平地部分の三の丸まで階段状に曲輪を配置している。
城域は東西約400m、 南北約350mあったとされる。
東西の斜面に竪堀、西側に蓮池、城の周囲には水堀と土塁を巡 らせ、重要な三御門(大手門・東門・西門)は析形虎口で防御を固めていた。
本城は吉其の代でそのほとんどが完成しているが、小出氏に代わり入部した稔平忠周(忠徳)が 1702年(元禄十五)に三の丸に対面所を建設し、それまで本丸・二の丸にあった藩主御殿・政治 機関を移した。
以後、1706年(宝永三)に信州上田より入部した仙石氏ももこれを踏襲し代々居所とした なお、仙石氏のときには城内でこうのとりが飼育されていたという逸話が残っており、 まさに「こうのとり舞う城」であったことが想像できる 1868年(明治元)に出石城の建物は全て取り壊されたが、1968年(昭和43年)に本丸東西に隅櫓が、1994年(平成6)には登城門が 建築され登城橋も架けられた
現在、築城410年を超える名城として多くの人々が訪れている


城内からみた、登城門、登城橋・・・桜と門、よく似合います!
西の曲輪から、手前、二の丸石垣、奥、本丸跡西隅櫓をみる・・
二の丸跡・・・
・・・実は、ここで、トラブル発生です・・・
それは、PentaxK3Ⅱが、突如、壊れました・・それは、シャッターが切れません
原因は、分かりません・・・ここで、Pentaxへ電話して対応を!! その待ち時間30分
ホント、また、トラブルか! 困ったもんです、このPentaxK3Ⅱ・・
サブ機のSONY-RX100で撮影は続行します
本丸です

              感応殿


藩主仙石家の祖、秀久・・・仙石権兵衛秀久(1552~1614)は古くから豊臣秀吉に仕え、いち早く出世した。九州攻めでの失敗で秀吉の怒りに触れ改易となるも、小田原攻めで 奮戦し(地名・仙石原の由来)信州小諸城主として返り咲いた。天下の大泥棒・石川五右衛門を捕らえた豪勇としても知られている。本丸に建つ 感応殿は、明治期に仙台家旧臣が造営したもので、中には小諸時代から伝わるとされる秀久の木造が安置されている

本丸跡・・・東隅櫓
狭間から覗いて・・辰鼓楼が見えます

稲荷曲輪の高石垣
本丸より稲荷曲輪を見上げる。高さ13.5m、但馬地方で最大規模を誇り、築城時の土木技術の高さがうかがえると・・
稲荷曲輪・・・稲荷神社と同じ場所です
稲荷曲輪から望む本丸跡、東隅櫓、そして、辰鼓楼、城下町です

山里丸・・城内で最も年代の新しい石垣が残り、算木積や矢穴が見受けられる
今年最後の花見ですね・・・八重がキレイです
桜の時期としては、終わりですが、八重が楽しませてくれました
そして、ここも、外国人観光客で賑わっていますね・・・それはそれで、結構なことです

残念なことに、PentaxK3Ⅱが、突如、壊れました・・・修理の手配など、約1時間ほど足止め!
そして、この後の神社参拝予定は変更を余儀なくされます
そうなれば、出石城下町をブラブラと、そして、そう、出石皿ソバを・・とね!
それも、ありですね・・・(*^_^*)




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