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2018年4月26日

苅野神社・・延喜式内社・・兵庫県丹波市柏原町上小倉270-1

延喜式内社、兵庫県丹波市柏原町上小倉270-1 苅野神社を訪ねます

国道176号線、篠山市から鐘ヶ先トンネルを通過し、丹波市へと、下り坂を駆け下りるので、いつも、横目に見ながら、丹波市柏原へと走っています
しかし、今日は、鳥居を右に見えたら、国道176号線を右折、「P」出来る場所へと進みます

社頭です

市指定文化財 苅野神社本殿 附 木槌3丁
指定年月日 平成15年10月20日
所有者・管理者 上下小倉共有財産管理組合
苅野神社は、延喜式内社であり、上・下小倉の鎮守社として江戸時代を通して両集落の「宮の党」という宮座によって守られてきた。
本殿は、三間社流造で、正面に千鳥破風、軒唐破風を付す。
正面と両側面の三方には縁をまわし、脇障子を立てる。
妻飾には、虹梁を三段に重ね、その間に蟇股と平三斗を配し、最上部は大瓶束と笈形とする。
屋根は、当初板葺であったものが文政十年(1827)桧皮葺に葺き替えられ昭和54年に銅板葺となった。
本殿内部からは、上棟式に便用されたと考えられる3丁の木槌が発見され、正徳四年(1714)の墨書があることから、建立年代も同年と確認できる。
この木槌には「大工丹波氷上郡野山住山本金兵衛」と大工名も記されており、建立年代、大工名の判明する建築として当地方の基準となるものである。
平成16年11月   丹波市教育委員会  ・・・案内板より引用


参道の石段を上がります・・・木々の新緑が美しいです

石段の上の舞殿?ではないな? 絵馬殿? ちがうなぁ?


丹波国小椋庄苅野神社畧縁起
夫当社苅野神社者 皇暦第五十第桓武帝第三皇子、荘園領主一品太宰師葛原親王を祭神とす。仁寿三年(853)六十八歳薨ず。
醍醐帝延喜五年(905)小倉村苅野神社延喜式内社に列すとあり。全国3131社の神名帳に記載された格式の高い神社で氏子の守護神として、字苅野田に祀る。
長和九年(1012)小倉村大嘗会主基進供とあり。主基とは天皇践祚に新穀を奉る悠基主基、両斎国をいう。(御田植祭今尚現存7月15日)
文明三年(1471)管領細川勝元は久下重元に小椋庄領家職の安堵状を授くとあり。 久下地頭の下に小椋庄産土神として祀り来たりしが、天正六年12月7日(1587)丹波攻略の明智光秀金山城に陣し、麓の苅野神社及び社坊悉く兵火で焼失す。
寛文七年(1667)苅野田の仮宮より現在地に造営遷宮し苅野田の跡地は古宮と称し現存す。
正徳四年(1714)本宮殿再建す。彫刻の手法は桃山・江戸初期粋を尽くした豪華佳麗な作なり。 社家には片瀬家、社坊には真言宗高野山宝城院末の竜泉寺あり、明治維新の際社僧復飾して日置左京、片瀬権守と共に奉仕せしが、帰農し、本社祠掌の儀は柏原八幡神社祀職千種家の兼掌するところとなり今に及ぶ。
幕藩時代は上小倉植村土佐守後水野鶴牧藩下小倉は織田山城守と知行所を異にするも、両村共同体は産土神として信仰崇敬深きものなり。     昭和五十六年記 氏子



拝殿
賽銭箱の注意書

本殿・・・三間社流造で、正面に千鳥破風、軒唐破風を付す

妻飾には、虹梁を三段に重ね、その間に蟇股と平三斗を配し、最上部は大瓶束と笈形
彫刻の手法は桃山・江戸初期粋を尽くした豪華佳麗な作なり・・と
木鼻の動物は? 龍か? ちと、雰囲気が違いますね
蟇股と木鼻
手挟み

左脇障子
右脇障子



狛犬
脇に立つ、石灯籠・・・宝永六(1709)と読める
手水舎


社頭、鳥居横の石燈籠・・天保二年(1809)と読める

見上げれば、新緑・・・実に美しい・・・一年で一番好きな時期です

延喜式神名帳・・丹波国、大社5座4社・小社66座65社の計71座69社の中、氷上郡17座(並小)の一社である、苅野神社・・・
・・・見事な本殿でした・・・

しかし、苔で緑色になっている社殿を撮影するのは、難しいですね!!





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