丹波亀山城を訪ねて、京都府亀岡市へやってきました・・・
ここは、宗教法人、大本さん・・・この敷地内に、丹波亀山城の石垣があると、雑誌にて知りました
そして、みろく会館受付にて、申し込みを済ませ、敷地内に残されている、丹波亀山城の遺構を拝見します・・・・
明智光秀は、天正五年(1577)頃、丹波攻略の拠点とするために丹波亀山城を築城しました。保津川と沼地を北に望む小高い丘(荒塚山)に築かれましたが、正確な史料が残っていないため全容は分かっていません。光秀は近隣の村から人を呼び寄せ、城下町を形成しました。天正8年(1580)に丹波国を拝領した光秀は、本格的な城下町の整備と領国経営に着手しますが、そのわずか2年後に「本能寺の変」が起こります。
亀山城はその後、羽柴秀俊(小早川秀秋)によって修築され、慶長十五年(1610)岡部長盛の代に天下普請により近世城郭としての亀山城が完成します。この築城にあたっては城づくりの名手・藤堂高虎が縄張りを務め、五重の層塔型天守が造営されました・・・亀岡市観光協会より
二つ目の門が、亀山城当時の本丸入口の場所に当たる
亀岡の名木 大本天恩郷の大イチョウ・・・胸高幹周:3.12m 樹高:20m 亀岡市都市緑花協会
禁足地のため、入れませんが、恐らく、右端の石垣跡の上の木と思われます・・・
石垣跡を拝見します・・・
・・・下から1/3ぐらいが、光秀築城当時の穴太衆積みらしい・・・
木々が茂り、城跡という別世界ですね・・・
明智光秀の本姓は源氏、摂津源氏の家系である・・・清和源氏の土岐氏支流である明智氏に生まれる・・・・
摂津源氏とは、摂津国の多田に根拠地を置いた清和源氏の嫡流である・・・そう、清和源氏といえば、兵庫県川西市多田神社ですね!
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2015/04/blog-post_57.html
足利義昭と尾田信長の両属の家臣となったことから、後々歴史は動いたのか、動かせられたのか?
勉強不足です・・・m(_ _)m
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