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2017年10月5日

馬止神社・・・中井権次一統の足跡を巡って‥豊岡市日高町観音寺700


中井権次一統の足跡を巡って・・・豊岡市日高町観音寺700、馬止神社を参拝します

県指定文化財、観音寺仁王門のすぐ脇に、参道はあります・・・

参道・・・なかなかの石段ではありませんか・・・楽しみですね!

しかし、ちと、痛んでいますね・・・地震のせいで、ズレたか? 石幅が狭い・・・う~ん! 注意して上がります・・


最初の踊り場・・石段・・・右に明和九年(1772)、左に寄進の刻銘が見えます・・
神門・・・(割拝殿かなぁ?)
その神門の中に・・・
小ぶりなれど、見事な彫刻を持つ社殿が・・・刻銘は探せませんでした・・・(>_<)
拝殿・・
う~ん! 残念ですね・・・治してあげたいが・・・
本殿、覆い屋に囲まれて・・・正面からのみ撮影ができませんね!
しかも、横に棒が渡されているので、見えずらいです・・・これも、雪囲いの幕用でしょうか?


祭神:名草彦命
伝へ云ふ。天武天皇12年(683)夏4月詔ありて、文武百官を教へ勤めて諸国に軍事を習はしむ。 此時馬工連刀伎雄を以て、但馬国の兵官となし操馬の法を教へしむ。
其の地を名づけて馬方原と云ふ是れ即ち今の三方村一帯の地名なり。
天武天皇13年(684)3月、馬工連刀伎雄其組平群木免宿禰命を馬方に祀りて、 馬工神社と称す。是今の馬止神社なり。
然るに馬工を馬止と称せしは工と止との誤なる事記録によりて明なり。
中古祭神を改め、明治6年(1873)10月村社に列し、 同19年(1886)社殿を再建せり。
同20年(1887)社殿を改築せり・・・兵庫県神社庁


明治19年、32歳の若き八代目中井権次正胤の傑作とある・・・丹波新聞、中井一統の技より

向拝・・・
左上を睨みつけ、目尻には朱が残っていますね・・・見事な龍です・・・


兎の毛通し・・、鳳凰 その後ろには、屋根を支えている力士の表情がいいすね!

眼は右上を睨み、唇には朱が・・ひげ、眉毛が鮮明に残っています・・・


右側側面から・・・

さぁ、降りましょうか! どうです、この急な石段は・・・一歩、一歩確実に・・・(*^_^*)

石燈籠・・文化十二年(1815)と見えるが・・・姿が、寂しいね!!

明治19年、32歳の若き八代目中井権次正胤の傑作とある・・・素晴らしい彫刻でした!
覆い屋が無ければ、脇障子も・・・隙間からチラッと見えましたが・・写真は無理でした・・

参道の石段、神額、石燈籠・・・残念ながら、痛みが・・・年代も年代ですから、仕方ないですね!!

よき、彫刻を拝見できました・・・m(_ _)m





場所は、上の写真を参照・・・






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