高座神社石鳥居跡、そして、式内高座神社の石碑です
・・・この辺が第一の鳥居跡か、参道入り口か、想像するのも、楽しみです
明神鳥居が建ち、石灯篭、玉垣、手水舎・・木々に覆われ、なかなかの雰囲気ですね
随心門・・うまく、写真に入りませんでした
随心門に掲げられていた、略歴・・・
祭神 主神:高倉下命・・・丹波、丹後、但馬、尾張の国の国造家の祖神にあらせられ、産業守護、開運厄除の神
配祀:天火明命、経津主命、建田背命、比責神
由緒
当神社は丹波国を統治された国造家がその祖神を、丹波開発の守護神として創始されたのに創丸と伝えられ、旧久下、上久下両村の総氏神として奉斎されております。
創立年代は不詳でありますが、延長五年(927年)に撰進された延書式神名帳に丹波国氷上郡十七座の首座に登載された「式内社」であります。
一説には、元慶三年(879年) 金屋村にはじめて社を建ててまつり弘冶三年 (1557年)に久下政光公と森丹後守が社殿を造営されました。この頃現在地に遷座されたと伝えられております。
江戸時代には当地の領主織田家の崇敬厚く社嶺の寄進を受けております。古記録によると境内の東側に「神宮寺」があり、西側には「梅本坊」と称した社僧の坊があり朝夕の勤行を勤め、谷川の木村氏が神職として奉仕しておりました。秋の大祭は古来氏子が、各村単位で「お当」を勤め、奈事絶ゆることなく受け継がれ、氏子より「高座さん」として親しまれて現在に至っております
・・・略歴及び、神社配布案内書より引用
「フジキ」 はマメ科の落葉高木で、「ヤマエンジユ」 とも呼ばれ
成長すれば、普通15m程に達する。 本州福島県以西や四国 地方の湿気の多い山中にまれに生える。 当高座神社の「フジキ」は根周り6.5m、日通幹囲3.5m、樹高約20mで、兵庫県下は勿論、全国的にも 大変貴重なものであります。 ・・・案内板より引用 |
奥の本殿、工事中みたいですね!
本殿、解体工事の様子が写真で・・・なかなか、見応えのある資料です
県重文、本殿を1705年再建以来初めて・・・と!
彫り物より発見・・とある ・・・浪花彫刻・長谷川銘が・・・ また、新たな名を知りました 後日、ググれば、浪速の名工・・・ |
多分、ほぼ完成に近い本殿
宝永二年(1705年)谷川村の工匠清水武右衝門を棟梁として、氏子により再建された社殿です
五間社流造、向拝一間唐破風付、檜皮葺
社殿は身舎桁正面五間、背面六軒、簗間(側面)二間、庇一間の流造で、屋根には双千鳥破風をのせ、正面には一間の入母屋造軒唐風付の向拝がつけられております。
斗棟は和様三手先で、正面は萬組、中備の暮股、手挟板支輪等の彫刻や妻組(二重虹梁大瓶束式)の構成には元禄文化の華やかな手法が駆使されております
しかし、化粧治しは、綺麗ですね・・・お見事!!
市指定文化財 石鳥居
高さ4.57m 柱の下部真々3.8mのすっきりした明神鳥居であるが、島木の鼻の截り方はほぼ鉛直で笠木の反増は少ない 向かって左柱前面に元禄六年(1693年)の造立年・右柱前面に寄進者名が刻まれている 石材は谷川地区にお奥山から切り出したもので、今でもその跡があるといわれている・・ 左柱銘:元禄六年 酉 霜月吉辰 右柱銘:高座神社明神鳥居久下谷氏子中建立 ・・・案内板より引用 |
拝殿側から石鳥居、随神門をみる
鳥居の横、左右にある石燈籠・・・竿の部分が珍しい・・ググってみても分からないのです!!
本殿の保存修理も平成27年9月30日までの工期、まもなく完成ですね
事業期間が平成27年12月31日までですから・・う~ん?
事業期間は3年半・・・解体、修理、組み立て・・長い時間が必要なんですね
平成28年の新年初詣は、新しくなった社殿へ・・・近隣の人々、氏子さんたちの晴れやかな笑顔がみれそうですね!
私も、完成後の社殿を時期をみて、見に来たいと思っています
参拝日:7月14日
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