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2015年7月23日

源満政霊廟・・大阪府能勢町観光、岐尼コース!

大阪府能勢町観光、岐尼コース・・・源満政霊廟!
慈眼寺のすぐ側とは、わかっていましたが・・見当たりません??
で、慈眼寺のご住職にお聞きすると、ご親切に教えていただきました!
なんと、慈眼寺へ登ってきた、道沿いだったのです!


源満政霊廟・・・両側が竹林、木に覆われた、車一台ギリギリの細い道の小高い位置にありました
平安時代の中頃、清和源氏発展の基礎をつくったといわれる源満仲公は南接の多田の地に住居した。その弟、源満政公は兄、満仲公に劣らず高い官位を保持し、長徳二年(996年)ここ能勢郡枳根荘米光の館に入部したと古書は伝えている。米光という地名は現在は見当たらないが、現存する満政公墓地や、建立の八幡社、又その付近の郭跡と思われる社地を比定しても大きな間違いではなかろう・・・案内説明板より引用
この墓の基壇は石組み四段である
碑文 表面:鎮守府将軍 源満政霊廟  裏面:元文元年丙辰九月領主建
元文元年は1736年で、江戸時代中頃の建立である。領主とは安部摂津守で町内では神山、山辺、来栖の三村を領有し、本貫地は武蔵国岡部(岡部藩)である
八幡社・・・場所、分かりません・・探したのですが・・・諦めましたm(_ _)m

清和源氏発展の基礎をつくったといわれる源満仲公・・・川西市の多田神社
2015年4月12日、備忘録に記しました多田神社・・
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2015/04/blog-post_57.html

多田神社は、元、多田院とも亦多田大権現社とも称えた大社でありまして、御祭神は第五十六代清和天皇の御曽孫贈正一位鎮守府将軍、源満仲公を首め頼光、頼信、頼義、義家の五公を奉齋する所謂源氏の祖廟であり、源家発祥の地である・・説明板より引用
そして、現在でも・・清和源氏同族会が存在します

2015年3月24日、国宝、波豆八幡神社 備忘録に記しました・・
神社所在地一帯は多田源氏の荘園であった波豆庄で、源満仲の弟・源満政が創建したと伝えられる
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2015/03/blog-post_67.html

この地域、川西、能勢、猪名川、宝塚などは、清和源氏を知っておかなければならないのです!

まさかと思いますが、兵庫県川西市に清和台という、古い大きな住宅地があります・・・
この清和台という命名もこのゆかりか?・・・そりゃ、こじつけ、考えすぎかもね!・・私感です!





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