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2015年3月24日

波豆八幡神社・・・国指定重要文化財・・兵庫県宝塚市!

国宝、波豆八幡神社・・・千刈水源地の渕に鎮座されております!・・

商用にて、前を通過するのだが、参拝用「P」はあるが普段、厄除け祭り以外は「P」させないのか、鎖で閉ざしている・・・・
周りの農道にも「P」できる場所もなく・・波豆管理施設なるものがあり、その広場に「P」させていただいた・・・ホッ!!・・・何度、参拝しようと思ったことか・・・!

「P」の案内さえ無い・・う~ん?


祭神は、誉田別尊(応神天皇)・・・

由緒・・
神社所在地一帯は多田源氏の荘園であった波豆庄で、源満仲の弟・源満政が創建したと伝えられる。川辺郡波豆村の村社で、集落を見下ろす高台にあったとのこと・・

昭和6年(1931年)に完成した千刈ダムにより、波豆集落は水没。参道下部も水没し、鳥居は移設された。このため、参道はダム湖(千刈水源池)へ向かっている・・・Wikipedia引用

管理施設の横から参道?を進むと・・・拝殿、本殿が現れました・・・

拝殿から、参拝して・・ゆっくり、ウロウロさせていただきます・・
宝塚市、此の付近?にある神社は、覆屋で守られているのが多いのか、本殿のお姿は容易には姿が見ることはできませんね!

本殿、案内板、説明より引用・・・
多田神社(川西市)の荘園であった波豆地方の鎮守社として創建された。本殿は室町時代の応永十年(1403年)に創立された三間社流造の規模の大きな建築である。
この本殿は、正規の三間社流造で両妻に扉を開いた形態では、最も古いもの一つである。
向拝などの一部は18世紀に修理が施されているが、本殿全体はほぼ当時のままでよく保存されている。

境内には14~15世紀の石造鳥居、宝篋印塔や五輪塔など、優れた石造品が数多く遺されている

ここ、波豆八幡神社は、簡素な覆屋のため、横から、後ろから、本殿を拝観できる
棟札により応永10年(1403年)の建立と判明する・・
戦前は、国宝であったらしいが、今は、国の重要文化財である・・・
向拝

本殿右前に手書きの由緒書きがあるが、私のカメラでは、無理・・あぁ!!
狛犬が睨んでいるね・・・ごめんね!
拝殿・・天井付近に神殿とある・・
水源地・・本来の参道に建つ、灯籠・・年代が読み取れない・・・ 
上からみた、県指定文化財の石造鳥居・・・

ご神木記念碑
本来?の参道に戻ってみましょう・・・
千刈水源地の渕を回っていきます・・・この底に波豆村が水没しているのですね!

石造鳥居:県指定文化財です
石造鳥居・・説明板より引用
兵庫県指定重要有形文化財

この鳥居は室町時代の応永三十二年(1425年)に八幡神社参道入り口に立てられた。
地元では波豆川西岸の石切場から川底に青竹を敷き並べ、その上を引っ張り上げてきたと言い伝えられている
千刈水源池に際して現位置へ移された。

三田市藍本の酒垂神社にある応永二年(1395年)の石造鳥居は同じ波豆産出の流紋岩製で構造、形式も同一であることから同人または同系の石工の制作と考えれている。

中央高 約3.7m、流紋岩製
三田市藍本の酒滴(垂)神社・・・2013年5月24日、伺いましたね・・振り返って備忘録みても、簡単に記しているだけ・・反省中です!


兵庫県指定重要有形文化財・・波豆石造美術群・・
五輪塔、宝篋印塔、板碑・・宝塚市指定文化財、宝篋印塔


波豆周辺には鎌倉時代から室町時代にかけての優れた石造美術品が多く残っている。これらは波豆川下流の石切場(現千刈水源池内)から切り出された流紋岩を使用している
ここにある高さ約4mの長大な板碑は嘉暦三年(1328年)に立てられたもので、三尊の種子(梵字)が薬研彫りに深く刻まれている。また、板碑の左右に立つ五輪塔と宝篋印塔(県指定)はそれぞれ康永二年(1343年)、明徳二年(1391年)に立てられたものである。
左方に立つ宝篋印塔(市指定)は笠部に隅飾りに種子が刻まれており、南北朝時代中期(14世紀後半)に立てられたものであろう。これらの石造美術品は、旧金福寺の境内にあったもので、千刈水源池が造られたときに現在地に移されたものである

写真左下:板碑 嘉暦三年(1328年)高さ、約4m 全国で2番目の大きさらしい
写真右下: 五輪塔、康永二年(1343年)
写真左下:兵庫県指定重要有形文化財・・宝篋印塔 明徳二年(1391年)
写真右下:宝塚市指定文化財 宝篋印塔  14世紀後期
なかなかの光景です・・・苔むした坂道、室町時代の応永三十二年(1425年)の石造鳥居・・

そして、未だ芽吹かず、もうすぐ新緑・・そして、此の山の色づく紅葉時期もまた、ステキです!


やっと、訪れることができた、波豆八幡神社・・・やはり、いいところでした・・・!


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