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2015年3月18日

駒宇佐八幡神社・・中井権次一統の足跡を巡って・・兵庫県三田市!

中井権次一統の足跡を巡って・・駒宇佐八幡神社を訪れます

・・国道176号線から波田橋の信号を左折・・武庫川沿い・・
ここ県道、武庫川沿いなのですが、その川土手の桜は見事なのです・・しかし、未だ、ちょっと、早い・・・
この県道は、何度か走ったことがありますが・・駒宇佐八幡神社・・気がつきませんでした・・・

左手に道標、そして立派な「P」があります
鳥居から見上げると・・・おおぉ、結構な石段・・・最後、がんばるぞぉ・・・(*^_^*)
平坦な参道にでましたが・・まだまだ先は遠いみたいです・・・
途中・・多分、社務所・・でも、社務所の表示もない・・・・
見えました、随神門・・奥にトンネルみたいな建物が見えるぞ?

長床・・・この下をくぐっていく参道です・・珍しいとのことです・・


長床をくぐって見上げると・・・巨大な杉、ご神木、石段右横に大きな岩・・標縄で祀られている
由緒・・・三田市観光協会、案内板より引用
神社の由緒は古い。近世三田藩主九鬼家の祈願所となり、本殿は明和三年(1766年)藩主と六ヵ村中の寄進により総建坪17坪の欅材づくりの豪華な社殿が再建された。一間社春日造桧皮葺、屋根は入母屋つくりに見えるが後方は切妻となっている珍しい形式である。
舞台は本殿正面になく左横手に建てられてある。庭前が狭いので、このような位置にになったかも知れない。あるいはここに伝わる百石踊(県指定重要無形文化財)を奉納する場として神前を空けたとも考えられる。
長床は承応三年(1654年)二代藩主、九鬼隆昌寄進にものである。中央宇床下の階段をくぐり抜ける古い形式の参詣道を残している・・

案内板の説明では、神社の由緒は古い・・・で、片付けているが、ググってみると・・
駒宇佐八幡神社の創建は貞観元年(859年)、行教が宇佐神宮の分霊を京都男山の石清水八幡宮に遷座の際、神勅によって奉納されたのが始まりとされる。八幡神が宇佐から白馬に乗ってこの地を訪れた事から駒宇佐八幡神社と称する事になったと伝えられています
そして、厄よけ開運の霊場として知られているとのこと・・・三田市内で有数の歴史を持ち・・・江戸時代中期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から三田市指定文化財に指定されていますと、ありました。

拝殿・・向拝の意匠もみごとですね!
本殿・・・一間社春日造桧皮葺、屋根は入母屋つくりに見えるが後方は切妻となっている珍しい形式とある・・・市指定重要文化財

中井権次一統の作・・周りが塀で囲まれ、波板で覆われ、近づくことができません・・・
そして、なかなか撮影ポイントがつかめません・・・(^_^;)

ご神木の側から長床をみる・・・・・・・市指定重要文化財
舞殿・・・・・市指定重要文化財
舞殿の天井周りを・・絵馬、彩色、落ちて、仕方ないことですが・・・
ご神木?・・撮影が右肩下がりになりましたm(_ _)m・・と、いうことは、このご神木、左に傾いているのですね!
大杉・・
幹周り4.8m 樹高30m・・・

パワースポットらしい!

もち、触ってきました!!
降りてきました・・鳥居の側に的石←の表示があります・・・
なにか、興味津々でさがします・・写真右下、赤丸部分・・農道、あぜ道を歩いて進んでいくと・・
川岸、対岸にあります・・・あちゃぁ!!・・・で、備忘録記するとき、ズームしてみました!

駒宇佐八幡神社 的石

??行われていた???(流鏑馬)の的石であったと云われ此の川の右岸にあったが昭和55年河川改修により此処に移したものである・・

??は判読不可・・読めませんm(_ _)m

そんな遠くない場所に、このような歴史のある神社があるとは・・・遠くへ出かけなくてもね!
まぁ、訪れる人もなく、一人山間で、静かに鑑賞できる喜び・・・わかりますよね!!

本日は、中井権次の足跡を巡る・・と、して第一弾、なんと、八社寺を巡ってきました・・・

その八社寺でも、どの代の中井家の彫り物師の作とか、神社建築構造、様式など、いろんなことが、正直、わかりません・・
ただ、神社仏閣が好きなだけ・・・これは変わりませんから、中井権一統の作品を見ることができれば、又違った意味で面白いです・・・でも、勉強して、知識つけなければならないと考えていますm(_ _)m

・・・京都府宮津市に行くとしたら、11代目の彫り物屋さんを営むお店に、伺いたいと思っています・・店頭に龍が飾ってあるらしいですから・・・・ね!!

では、又々、中井権次の足跡を巡って・・どこから攻めようか・・思案中で~す!











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