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2020年3月20日

中井権次一統の足跡  貴船神社、兵庫県多可町八千代区中村257

中井権次一統の足跡を巡っています
兵庫県多可町八千代区中村257、貴船神社です 
中井権次一統作品集には、記載されておりません 

過日、作品集に記載ある多可町八千代区中野間の貴船神社の記事に「マサ」さんという方から、ご指摘のコメントを頂戴いたしました

「中野間は、違いますよ、中村の貴船神社が、中井一統ですよ」・・・と!

これは、一大事・・・
まずは、中野間の貴船神社へ・・・再度、彫刻を確認して、作風の違いを感じ・・・
早々、県道143号線沿いの「中村の貴船神社」へと参りました


社頭


神額


歴史街道 貴船神社

ご祭神 水喰尊 大歳神
創立年代は不詳ですが、天船地区四ヵ村(坂本・中村・横屋・下村)の氏神です。
かつての秋祭には、豊臣秀吉が寄進した虎の皮を張った二尺余りの陣太鼓を用いたと伝えられています。
境内社として太神宮社、祇園神社、山ノ神社、若宮神社も祀られています。
秋祭には、貴船神社から御旅所である横屋の大歳神社への渡御が行われています。
また、当日には「リョンリョン」をはじめとする民族芸能が奉納されます。
竜王の舞と呼ばれる「リョンリョン」のほか、獅子が駆ける「神楽の舞」、子どもがササラを鳴らし、大人が布張りの太鼓を叩く「ゲイゲイ」によって構成されています。
これらの伝統芸能は、中世の芸能を彷彿させる貴重な祭礼行事となっています。
この天船地区には大正時代の頃まで、風流踊りである雨乞踊が行われていましたが、昭和四七年一度復活した後、現在は行われていません。

神社庁では・・・
慶長以前に創建されていたことは明らかである
水喰尊を祀って姫路城主の崇信あり。また秀吉公奉納の太鼓と伝えられるものがある。
日本三奇祭称えて鎌倉時代の雨乞踊いう踊りを伝えている。・・・・と、記載されている


参拝しましょう・・・ワクワクしております

拝殿、梁上・・・
これ題材はなんだったけ? どこかで見て記事に?
思い出した・・・土蜘蛛退治!
氷上町本郷、味耜高神社の向拝にありました
この背面には、刻銘は無いが、土蜘蛛退治は、中井権次正胤である

社殿です


まず、向拝から
・・・獅子噛に龍・・・

その龍の眼球には、血筋が鮮やかに描かれている

その龍の背面に・・・ありました、刻銘
「丹波氷上郡柏原 彫刻師 八代(目)中井権次正(胤)」・・・()は見えないので・・

「マサ」さんのコメントどうり、中井権次一統の足跡でした

       左脇障子

       右脇障子

左、妻飾り

右、妻飾り


身舎正面扉の両脇、扉の腰にも・・・


お見事です


木鼻

持送り

持送り、木鼻

境内

境内社

手水鉢
右、文化十一(1814) 左、大正三年(1914)と刻まれている


       御神燈 
       ・・・弘化三(1846)と刻まれている
多可郡八千代区には、中野間、下野間、下三原そして中村に貴船神社はあります
すべて参拝いたしましたが、今回の中村で、正式に中井権次一統の足跡と確認、確定いたしました

八代目、青竜軒中井権次橘正胤(1854~1928没)の見事な彫刻です

「マサ」さん、コメントでのご指摘、本当に、ありがとうございました
中井権次一統の足跡を巡っている私にとって、2020年、貴重な出来事の一つになることでしょう






2 件のコメント:

  1. ようこそ!八千代まで(笑)
    以前、偉そうにご指摘させてもらって、指摘通りに参拝されてもらい大変
    光栄です(笑)
    本殿、拝殿もコメント通り、正胤さんで正解と思います!
    脇障子「牡丹獅子」も拝殿の「頼光土蜘蛛退治」も正胤さんの特徴が良く出て
    良い彫刻とおもわれます。
    この周辺は、銘が現れていないですが、中井一統と思う彫刻があちらこちらと点在してるので
    また、訪れてください。訪問時は、お声かけください!

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    1. コメント、ありがとうございます。その節はご指摘ありがとうございました。お陰様で新たな中井権次一統の足跡を発見して、感動いたしております。行動?が解禁されたら、また、走り回ります。その時はよろしくお願いします。

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