ページ

2019年10月8日

中井権次一統の足跡・・・神田神社、兵庫県篠山市大山上728

中井権次一統の足跡を巡っています 
中井権次一統作品集 No71 兵庫県篠山市大山上728、神田神社です

承和十二年(845)大山荘が立荘したとき、大山荘の総鎮守社として崇められ一宮神社と称された
中世荘園、大山荘とは、丹波国多紀郡の荘園で現兵庫県篠山市大山地区を中心にした一帯
京都東寺領である


社頭

社務所の周りに縄が張られ、「蜂、注意、はち、ハチ」・・・と
恐ろしい・・・注意しながら、撮っていきましょう……




拝殿



本殿・・・入母屋造檜皮葺

主祭神:大己貴命
由 緒:大宝二年(702)、勧請。醍醐天皇の延喜式には、多紀郡九座の一とある。
神田大明神と称し、皇室を初め、武家名門の崇敬篤く、承保元年(1074)の大嘗会のおり、大江国房、当社の御神徳を称え、詠う記録あり。
応保二年(1162)、今の地に遷座。戦国時代、足利氏の崇敬篤く、般若経を寄進し武運長久を祈る。
応永元年(1394)、足利義持が征夷大将軍に任ぜられるおり、執事の細川満元に教書を奉呈させ、武運長久を祈る。
天正六年(1578)、兵火により焼失。後に再建。
延宝八年(1680)修繕。
徳川氏の代、篠山城主の祈願所とし、代々崇敬寄進あり。
延宝四年(1676)、城主松平氏より石手洗い鉢寄進ありて、現存す。
寛保二年(1742)、正一位神位を授けられ、正一位神田大明神と称す。
明和二年(1765)、社殿改修。
大正四年(1915)、社殿後方へ移し、幣殿建立し、拝殿改修
昭和二年(1927)、神饌所建設
・・・兵庫県神社庁より引用



   彫物師は、四代目中井言次君音(1722~1787没)
   由緒にある、明和二年(1765)社殿改修と時期が一致します


    尾垂木からの竜頭 

本殿、背面


       左脇障子

       右脇障子


本殿、裏の小高い地に、境内社

国道176号線沿いには、中井権次一統の足跡がたくさんあります
前出の池尻神社、後日、記しますが、高蔵寺、追手神社、追入神社、大乗寺・・・
数分の位置関係です・・・







0 件のコメント:

コメントを投稿