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2018年8月31日

稲崎神社・・中井権次一統の足跡を巡って・・京都府与謝野郡与謝野町石川6241

中井権次一統の足跡を巡っています
京都府与謝野郡与謝野町石川、稲崎神社です

与謝野郡与謝野町の中井権次一統の足跡、木積神社、小聖神社、弥刀神社を巡ってきました・・・
その、弥刀神社から、僅かなところに、稲崎神社が位置します

中井権次一統の足跡、作品集、第二版に掲載されました
その記念?で、チラッと、立ち寄ってみました・・・

前回は2017年8月7日でした・・・ちょうど、一年前になります
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2017/08/blog-post_65.html





拝殿、本殿(覆屋)

本殿・・・



龍、力神、木鼻
・・・ここの、力神は、両腕で、梁を支えていますね!

身舎板戸の彫刻

      左、脇障子・・・題材は、「応神天皇の土蜘蛛退治」とある

由緒
・・・彫刻師、丹波柏原 中井権次・・と、あります

数枚、写真を撮ったのですが、又々、右脇障子の写真がありません
なぜですかね?  同じミスを繰り返しますね・・・困ったもんです

そうそう、今回のカメラは、pentax-K-1Ⅱと、SONY-RX100で撮影しました






2018年8月29日

弥刀神社・・中井権次一統の足跡を巡って・・京都府与謝郡与謝野町上山田1304

中井権次一統の足跡を巡っています
京都府与謝郡与謝野町上山田1304、弥刀神社を訪ねます

丹波新聞 中井一統の技の記事より発見した、中井権次一統の足跡、弥刀神社です

「延喜式神名帳」弥刀神社 丹後国 与謝郡鎮座・・・古社




創建:貞観九年(867)
祭神:速秋津彦命
本殿は宝永四年(1707)に再建されその後、火事により焼失、明治25年に再建
水戸神社、水門神社とも言われた・・・と!


向拝

右より、フラッシュを炊かないと、力神は写りませんでした・・(失敗です)

本殿四隅には象の聖獣がいる

    脇障子には、神仙説話の仙人と・・・
     
       左脇障子 

      右脇障子

刻銘探すも、見つからず・・・龍の背面にも、脇障子の背面にも・・・確認できず、残念!
丹波新聞 中井一統の技によると、中井権次橘正胤の傑作とある

拝殿、本殿

    向かって左の草むらに「山田城跡」の標識が・・・
    弥刀神社、背後の山とあるが!





境内社

境内社

手水舎

東は弓木地区の木積神社から、下山田の小聖神社、西はここ、水戸谷の弥刀神社までの野田川下流域北側の集落で縮緬業が盛んだった地域である
往時には阿蘇海の水がこの付近までを満たしており、舟を使っての交易が盛んであったと言われている


社頭にて、撮影していると、工場の機械音が、結構な大きさで、聞こえてきました・・・
その時は、なんの仕事かなぁ?・・と、思いながら境内へ・・・

丹後ちりめんで有名な地域です
丹後ちりめん・・主な産地は京丹後市、与謝郡与謝野町。丹後地方は、日本国内の約1/3の絹糸を消費して和装・洋装生地に使用し、和装地では、国内に流通する6~7割を生産する日本最大の絹織物産地である・・・Wikipediaより引用

この備忘録記事作成中に・・・「そうか! 縮緬業の機織り機の音だったのか」・・・と!

で、ググってみました
・・・この機織り機の音でした・・・ピンポンでした













2018年8月28日

小聖神社・・中井権次一統の足跡を巡って・・京都府与謝野郡与謝野町下山田84

中井権次一統の足跡を巡っています
京都府与謝野郡与謝野町下山田84、小聖神社を尋ねます

小聖神社・・残念ながら、GoogleMapには、神社名表示されません
小聖神社・・丹波新聞 中井一統の技のコラムより発見した、中井権次一統の足跡です
前回の木積神社から、僅かな距離です



     急登の石段です

お! なんじゃ? 
・・・「スズメバチの巣がありますので、境内立入り禁止」・・とあります

一瞬、たじろぎました・・・さぁ、どうするか?
ここまで来て、帰るわけにはいきません・・・しかし、スズメバチの恐怖が・・・
そう、私、スズメバチさされて、腕、腫れ上がった経験者ですから、恐いのです

拝殿前の石段付近で、10分間、身を潜めて、様子をみました
・・・蜂は飛んでいないようです・・・

この隙に、パパパァと、写真撮影して、帰ろう・・・と!

祭神:伊邪那岐命 創建時不詳

左、本殿、覆屋 右、拝殿
拝殿と本殿は、天保六年(1835)に改築されたものとある

本殿と拝殿の隙間より、向拝をパチリ・・・
・・・なんとか、龍、木鼻は写りました・・・
丹波新聞 中井一統の技によれば、刻銘は、中井権次橘正貞とある



     文久三(1863)と読める





手水舎

注意喚起の張り紙は、ありがたいことです
スズメバチ・・・との文字見ただけで、石段でたじろぎました・・・
これは、痛い目に遭わないと分らない気持と思います
張り紙は、七月二十四日の日付ですが、今は8月17日、運よく?、蜂、飛んでいませんでしたので、駆け足で参拝、写真撮影できました

蜂・・・この暑さで死んだかも?
気温は38度です・・・人間も倒れる気温ですから・・・蜂さんも熱中症?・・要注意です




2018年8月27日

木積神社・・中井権次一統の足跡を巡って・・京都府与謝郡与謝野町弓木

中井権次一統の足跡を巡っています
京都府与謝郡与謝野町弓木、木積神社を訪ねます

「延喜式神名帳」木積神社 丹後国 与謝郡鎮座  大正九年神饌幣帛料供進指定の古社です

天橋立から、府道2号線の旧街道で、石田地区公民館の道へと・・
坂道を登ると突き当りに神社が見えてきます・・・


閑静な佇まいですね



延喜式内社 木積神社(旧郷社)

鎮座地:与謝郡岩滝町字弓木小字石田宮ヶ谷
祭神:五十猛神(天照大神の弟、素盞鳴尊の子
大物主神(素盞鳴尊の子、大国主神の別名)

由緒、沿革
当神社は「木積山王宮」とも云われる。創立は平安時代醍醐天皇の御代、延喜二年(902年)の勅により全国各地における崇敬篤き神社を選び「延喜式内社神名帳」が作られ当神社はその中で官幣小社として載せられており、よってその創立はそれ以前と考えられる。しかしその後の罹災等により建築物社記、古文書等を消失したため、その沿革等を詳しく知ることはできないが、現存する古文書「丹後国式内社取調書」「山王宮社再建寄進帳」によると、天明六年丙午八月(1786年)に再建され、その後昭和15年社殿改築がなされ現在の神域となっている。
また「三輪神社・祭神大物主神」については、創立年代は不詳なれど、慶応四年四月の記録に「山王大神・祭神大物主神」とあり、明治2年6月17日「三輪神社・祭神大物主神」と改号され「木積神社」に配祀されている。
「木積神社」「三輸神社」共に、樹木、木材家屋、医薬治療、延命息災、国土経営、家運隆昌の祖神として、古くから氏子はもとより、歴代藩主を始め広く世人に崇敬されている。

社宝・・・
中務郷有栖川宮殿下御筆「木積山王大神」の神号
狛犬(石造)二体、石灯寵二基、宝筐印塔二基


拝殿

向拝

刻銘探せど、見つからない・・・
丹波新聞、中井一統の技によれば、中井権次橘貞胤の作であると・・・

血走った眼は、初めてみました

木鼻・・眼、鋭いね!

阿吽の獏

手挟み 桁隠し


本殿、拝殿


      本殿

彫刻は、中井権次一統のものではない 
・・・昭和15年に改築とあるので、その時代のものでしょうね?

境内社


       親子杉

    
    社宝の狛犬(石造)二体・・・これかなぁ?





     社宝の宝筐印塔・・・これかなぁ?

    明和元年(1764)と読める




    石造鳥居・・・文久三(1863)と、読める

天橋立から、股のぞき発祥の地とされる大内峠一文字公園をスルーして、木積神社へ
この地域は、宮津市ではなく、京都府与謝郡与謝野町・・・
京都府与謝郡与謝野町へも来ましたが、丹波新聞、中井一統の技のコラムで、知ったのでね・・

まだまだ、中井権次一統の足跡作品集に掲載されていない社寺がありますね・・・
作品集に掲載されているが、行けない社寺も数社ありますが・・・う~ん!