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2018年6月4日

普済寺仏殿・・国重要文化財・・京都府南丹市園部町若森庄気谷76

京都府南丹市園部町若森庄気谷76・・国重要文化財、普済寺仏殿を訪ねます

国道372号線から、若森区へ・・・京都府立農芸高等学校の看板を左折し進むと・・
普済寺の境内、本堂・・・と、思いきや・・・右手に、重要文化財、普済寺仏殿が建っています
門の左側に、「P」があります

重要文化財、普済寺仏殿を拝見します

門の右手・・「貞和二年(1346)創建 國寶唐用普済寺仏殿観音堂」・・・と、木札にある

普済寺 仏殿観音堂

非常に詳細な説明板です・・・右の金属の箱に、案内書が入っています

禅宗様建築の説明部分・・・じっくり拝見します

・・・鎌倉時代に中国の宋から禅宗ととに伝来した建築様式をいう
禅宗の建築は軒先が曲線を描き、隅で大きく反り返るのが特徴で、装飾的な細部も多い
構造的には大仏様と同じように貫で柱をつなぐことにより耐震性を向上させている


仏殿・桁行三間 梁間三間 一重 入母屋造 槍皮葺

仏殿の建立年代は南北朝時代と考えられ、大きく反り上がる軒、中央が盛り上がる火灯(花頭)形の窓や波状の連子が入る弓欄間など、典型的な禅宗様の仏殿として貴重な建物である。


・・・仏殿の構造・・・
仏殿は、昭和7年まで、芽葺であったが、同年の解体修理の当時は槍皮葺、瓦棟であったことが判明し、現在の姿に収まった
建物は、方三間、単層、組隅は大きく反り上がる。組物は、二手先詰組で小堂であるにもかかわらず四面に28組の斗栱を組む。柱は、比較的細く全て円形で台輪を載せ、二重に貫を通し地覆を廻す。柱の上下には綜を付け礎盤を置く。藁座付桟唐戸や火灯(花頭)窓、波状連手をはめ弓欄間設ける。台輪や尾垂木の先端は鋭く繰線惣ている。妻飾、破風には鰭付の三ツ花懸魚、桁隠をつけ、三斗組付の太瓶束、大虹梁下は三斗で受ける。右両側面は桟唐戸片開、背面中央は南開の桟唐戸を設ける。内部は、鏡天井で、床は禅宗様寺院では、瓦の四半敷が通例であるが、この仏殿は板張りで、中央に須弥鐘を置く


       右手、桟唐戸片開き

       波状の連子が入る弓欄間、火灯(花頭)窓

三斗組、詰組

柱と礎盤の間に装飾的な部材を置く
右後方より

    道路を挟んで石段があり、境内への道ですね・・・
本堂

普済寺は、平安時代に天台宗寺院として創建されたとも、足利尊氏が夢想国師を開山とし、その弟子となっていた千種姫(尊氏の妹)を開基として創建したとも伝えられている。その後荒廃したが、江戸時代になって、寛永十一年(1634)に亀山(現亀岡)城主菅沼織部正定芳が天外梵舜禅師を招いて復興し、曹洞宗に改めた

茅葺き・・禅道場か?

境内からみた、鐘楼門

      宝篋印塔・・・高さ1.9m

一端、正面に廻ります

石柱には、天下太平 萬民普済と刻まれている

いや~ エエ感じですね 苔の参道!

鐘楼門

さぁ、戻ります・・・石段上から普済寺仏殿を眺める・・・

屋根の四隅の反りがイイスね!

静かな山間の寺院と思いきや、京都府立農芸高等学校は体育会か?
案内の放送の声が、静かな普済寺に、現実の世界が鳴り響いています

普段は静かな、山寺でしょう・・・素敵な仏殿でした





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