2018年6月19日

国宝、浄土寺・・・兵庫県小野市浄谷町2094

兵庫県小野市浄谷町2094、極楽山浄土寺を訪ねます

この浄土寺は、二回目です・・・この浄土寺も、お気に入りの寺院なんです
国宝、浄土堂(阿弥陀堂) 仏師快慶の代表作、国宝、阿弥陀三尊像があります
そして、建造物は、国宝、重要文化財が建ち並ぶ境内は見事です


             この石段を上がれば、そこは・・・国宝、浄土堂(阿弥陀堂)です



浄土寺は、今から800年前の鎌倉時代初めに建立された寺院です。
加古川左岸の小高い丘陵の先端部に位置し、ここから西方を望めば、広大な平地と大きな空が広がっています。この平地部は、奈良の東大寺の荘園であったところで、「大部荘」と呼ばれていました。源平合戦の兵火により焼失した東大寺を再建するための責任者(勧進職)となった重源上人は、この地を再開発することによって、再建のための費用を賄おうとしました。その拠点としてつくられたのが浄土寺で、「播磨別所」ともよばれています。境内は、敷地の中央に八幡神社を配し、その前に池を挟んで浄土堂と薬師堂が向かいあうという珍しい配置となっています。建物だけでなく、彫刻、絵画、工芸品、石造物など数多くの貴重な文化財が残されており、鎌倉時代の息吹を今に伝えています


国宝、浄土堂(阿弥陀堂)です

奈良の東大寺南大門と並んで、大仏横(衣笠様)建築奄代表する最も大切な建物です。
この浄土堂は、桁行二面、梁間三間、単層、屋根宝形造、本瓦葦の堂々とした建物で、柱間の隔りはニ十尺という広いものです。 鎌倉時代のはじめ、東大寺の再建工事が始められた際、大勧進職となった俊乗房重源上人は、領所として与えられた大部荘に壮大な寺院を興しましたが、そのときのままに残っているのがこの浄土堂です。創建の建久三年(1192)から昭和三十二年までで約七七〇年の風雪に耐え、一度も毛解体されずに持ちこたえて来ただけでも偉大です。つくり方が大仏様(天竺様)という特異な様式で、東大寺南大門とともに全国にただ二つしかない点も重要です。我が国建築史の上から、かけがえのない大切な建物とされているのもそのためです


本瓦葺、宝形造のお堂です。柱間が6mと広く、屋根が直線的で、外観は低い建物のように見えますが、堂内に入るとその広さに驚かされます。東大寺再建に用いられた大仏様(天竺様)を残す唯一の仏堂で、虹梁を支えるために太い柱に差し込まれた挿肘木や天井を張らない化粧屋根裏、隅部の扇垂木などにその特徴が認められます。


浄土堂内の、仏師快慶の代表作、国宝、阿弥陀三尊像を拝観します
この暖簾が下がる半間が入口です・・・拝観料500円




国宝、阿弥陀如来及び両脇侍立像です・・・堂内撮影禁止の為、配布説明書から引用しました

浄土堂内に入り、阿弥陀三尊像の前に立ち、見上げれば、それは言葉にはできません
背面が西で、足下奥の明るいところが、蔀戸・・・ここから光が入り、幻想的な空間となるのです
説明をしていただきました・・・最も西陽が差し込んでくるのが、9月20日前後の夕方、東面まで西陽が差し込んでくるらしい・・・です

配布説明書より引用
配布説明書より・・・
・・・名仏師快慶作の巨大な三尊立像で、浄土堂中央の円形須弥壇上に立っています。背面となる西側が格子戸(蔀戸)になっていることから、夕方になると西陽が差し込み、堂内が一段と明るくなります。さらにこの西陽は床に反射して屋根裏にあたり、それが本尊にふりそそぎ、本尊を赤く染めます。また、直接入ってきた光が、足元の雲座部分をかすませ、この巨大な赤い三尊が雲に乗って浮かんだようにみえるのです。これは、阿弥陀様が雲に乗って西方浄土から迎えにくるという「御来迎」の姿を、実際に見せようとしたものです。まさに光を用いた舞台芸術、光のオブジェともいえ、我が国の文化、また歴史においても類をみないものとなっています。

浄土宗の本尊で、浄土堂創建当時につくられ、安置されたものです。阿弥陀如来の高さは貫き530cm、観音・勢至の両菩薩はそれぞれ370cmあり、鎌倉初期の名仏師快慶の作であります。丈六の座像は諸地方に多く残っていますが、立像は珍しくその上、安定に細心の注意を払い、特殊な据え付け方をしています。・・・

・・・特殊な据え付け方‥説明いただいたのが、体内の柱が床から堂下の礎石まで通し柱になっているとのことです


鎮守八幡神社拝殿・本殿(重要文化財) 1235年創建、室町時代中期再建

創建時にまつられた浄土寺の鎮守社です。現在の建物は、室町時代後期の特徴をとどめた槍皮葺の三間社流造の建物で、花木や鳥などを配した写実的な暮股にその時代の特徴がよくあらわれています。

向拝、中央の蟇股

向拝、右の蟇股

社殿、蟇股

社殿、蟇股・・・法輪か?

拝殿

本瓦葺、寄棟造の大きな割拝殿です。現在の建物は鎌倉時代後期に再建されたものですが、天井を張らない化粧屋根裏や虹梁の架け方などに大仏様の技法が認められます

大和の東大寺に鎮守の手向山八播官があるように、同寺の未寺には鎮守八幡の建てられているところが少なくありません。浄土寺で鎌倉後期の嘉禎元年(1235)に八播宮を建てたことが寺記に載せられ、現存の拝殿と本殿はその遺構とされています



薬師堂‥国重要文化財
・・・建久八(1197)年に上棟しましたが、焼失により室町時代の永正十四(1517)年に再建されています。規模は浄土堂と全く同じですが、純粋な大仏様は失われ、和様、唐様などの建築技法が混在した折衷形式の建物となっています。



開山堂‥県指定文化財
・・・開祖である重源上人の坐像を安置するためのお堂です。薬師堂とともに焼失し、同時期に再建されています。現在の建物は、本瓦葺、宝形造の簡素な建物で前側が庇となり、古風な形を今に伝えています。


鐘楼堂・・・県指定文化財
・・・ 創建不明、現在のものは寛永九(1632年)築、槍皮葺、入母屋の大屋根と裾部の袴腰が優美に調和し、江戸時代初期の様式がよく残っています


浄土寺裏山四国八十八ヶ所とアジサイ巡り



裏山から境内を眺める・・・

浄土堂の瓦・・・南無阿弥陀仏とあります

二回目の浄土寺、国宝浄土堂、阿弥陀三尊像・・・素晴らしいものでした
須弥壇の周りをぐるっと回れますので、阿弥陀三尊像の全体が拝見できます
背面もしっかり見ることができることもすばらしいことです

時間が許せば、何時間でも、その場、空間にいたいですね
また、最も西陽が差し込んでくるのが、9月20日前後の夕方、東面まで西陽が差し込んでくるときに、再訪したいと思っています

追記:各建造物の説明文は、小野市観光協会、浄土寺配布の説明書より引用しました