京都府船井郡京丹波町上野北垣内63-1、能満神社を訪ねます
山王七社・・・・旧山内庄の何鹿神社、橋爪の二ノ宮神社(八幡宮)、酒治志神社、九手神社、子守神社、能満神社と井尻の日吉神社を巡っています
国道9号線、山陰道、「須知」の交差点を府道80号線を出知坂方面へ
当地に勢力をもった須知城主の須智左馬守・・・その名の「須知」ですね
地道の参道です・・・通り過ぎてしまいそうです
鳥居
舞殿、手水舎、石段上がれば、本殿
京都府登録文化財、丹波町指定文化財・・・能満神社
祭神 事代主命 武甕槌命
当社の由緒については、正面揚額の通りであるが、現在の本殿は延享二年(1745)二月から十ヶ年間、氏子一人に付き毎月一銭文ずつの積立をし宝暦八年(1758)四月奉行の建設許可を得、宝暦十二年大工須知村勘右門に落札、明和二年(1765)二月より着工、明和四年(1767)三月に完成したものである
棟梁は外に中村村磯之烝、庄右衛門、彫物は京都六条堀川久兵衛とあり、積立開始より実に二十二年を要して竣工したものでありその工費八貫七百二十七匁三分 そのつくりは極めて彫刻が多く賑やかである
創立ノ由来及年代詳カナラサレトモ延慶三年(1310)十月社殿建立ノコト古書ニ明カナリ其後二百二十年ヲ経テ享禄四年九月市森城主須知左馬守子願主トナリ山崎加賀守乾次郎左エ門奉行トシテ社殿ヲ修理シ慶長十五年(1614)四月ノ造営ニハ米百石人夫千五百人ト記シ寛永十六年九月又銀壹貫五百餘匁ヲ投シテ上葺ヲ為セリ・・・一部省略
二間社流造、銅板葺の本殿は、装飾のための彫刻が特徴的で、京都府登録有形文化財(昭和58年4月15日登録)・京丹波町指定有形文化財(平成2年4月16日指定)となっています
向拝
・・・全体の写真撮影は不可・・・この社殿の写真撮影は難しい、見上げるしかない!
二頭の龍か?
社殿向拝、正面左、蟇股
社殿向拝、正面右、蟇股
社殿左、蟇股・・・
・・・この細かい細工、みごとですね・・・親子か? 表情まで見てとれる
囲碁対局・・・白黒碁石も刻まれている・・・お見事
左、脇障子・・・鯉の滝登りか?
斜めから見ると・・・立体的な作が見てとれる
右、脇障子・・獅子の子落としか?
斜めから見ると・・・立体的な作が見てとれる
妻飾り・・・
・・・この立体感、見事しか、言い様がない・・・花、その中央部まで、彫られている・・・
孔雀か?
手挟み
木鼻
お願い・・・
・・・当社本殿の彫刻は二百余年を経過しており、時々外れて落ちることがあります
もし発見されたお方はこの箱にお入れ下さい
本殿、覆屋に護られ、寄せ付けない・・・これが、撮影には、大変難しいのです
境内社・・・稲荷神社、天満宮、八坂神社、熊野神社
境内社・・・春日神社、大神宮
手水舎
社務所左横・・・絵馬殿? 休憩所?
奉納額・・萬延紀元(1806)年と読める
社務所
装飾のための彫刻が特徴的・・・彫物師は京都六条堀川久兵衛とあるが、調べても、情報は皆無である
この特徴的な彫刻は、あまり、見かけたことはないですね
京都六条の彫物師のなせる技か? とも、思えますね!
しかし、見事なもので、自撮り棒などをそろえて、再訪、再撮影をしようと思っています
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