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2018年6月21日

刀田山 鶴林寺・・・兵庫県加古川市加古川町北在家424

兵庫県加古川市加古川町北在家424、刀田山 鶴林寺を訪ねます

2014年9月19日、黒田官兵衛ブームの際、訪れました
はや、5年弱が経過したのですね、時の流れは、はやいです・・・今日は嫁連れて再訪です

「P」です・・・満車です

県指定文化財 仁王門
室町時代、階上に座禅堂を持つ楼門形式で大伽藍の正門として位置する

関西花の寺 第九番でもあります





・・・聖徳太子御創立 鶴林寺・・・
高句麗の僧、恵便法師ら排仏派の迫害を逃れてこの地に身を隠しておられたので、聖徳太子が法師の教えを受けるため、この地に来られた。587年、秦川順こ命じて精舎を建立
し、戸田山四天王寺聖霊院と名付けられのが、当寺の始まりと伝えらえている。養老二年(718)武蔵国大目身人部春則が太子の遺徳を顕彰するため、七堂伽藍を建立し、九世紀の初め、慈覚大師円仁が入唐の際に立ち寄られ、薬師如来を刻して国家の安泰を祈願され、以後天台宗になった。天永三年(1112年)鳥羽天皇から勅額をいただき、「鶴林寺」と寺号を改め、勅願所に定められた。鎌倉時代、室町時代と太子信仰の高まりと共に、鶴林寺は全盛期を迎え、寺坊30数力坊、寺 領25,000石、楽人数十名が常に舞楽を奏していたと言われたが、戦国時代に至って信長、秀吉らの弾圧、さらには江戸時代の厳しい宗教政策のため、衰微せざるを得なかった。
今では「刀田の太子さん」や「播磨の法隆寺」と呼ばれ、人々の信仰あつく、多くの文化財が護持され、心のやすらぎの場となっている・・・配布説明書より引用




国宝 本堂((附:宮殿棟札2枚)

和様・大仏様・禅宗様の折衷様式の代表作 
・・・  室町時代 応永四年(1397)入母屋造、本瓦葺き。桁行(正面)七間、梁間(側面)六間。堂内の宮殿の棟札、銘から応永四年(1397年)の建築とわかる。和様に禅宗様を加味した折衷様建築の代表作で、桟唐戸を多用する点が特色である・・・


本尊は薬師如来  日光、月光、毘沙門、持国、十二神将をまつる・・・(各重要文化財)


堂内は、仏様以外は撮影可能です




垂木・・・飾り彫りが四隅に見られるが名称は分からない




国宝 太子堂


宝珠をいただいた桧皮葺の優美な県下最古の建築。
本尊は釈迦。文殊、普賢、四天王をまつり、天井に典雅な仏天蓋を吊るす。 室内には長年のススでおおわれた九品来迎図、仏浬槃図、柱絵、その他の壁画が描かれているが肉眼では見えない。



平安時代 天永三年(1112)・・・本堂の手前右方に建つ。堂内に壁画の聖徳太子像があることから太子堂と呼ばれているが、元来は「法華堂」と称された堂で、本堂手前左方に建つ常行堂と対をなしている(「法華堂」「常行堂」という同形の堂を並べて建てるのは天台宗特有の伽藍配置で、延暦寺、日光の輪王寺などに例がある)。屋根は宝形造(四角錐形の屋根)、檜皮葺き。桁行、梁間とも三間の主屋の前面に梁間一間の孫庇(礼堂)を付した形式になり、側面から見ると、主屋と孫庇の境で軒先の線が折れ曲がる「縋破風」の形になる。屋根板の鎌倉時代の墨書から天永三年(1112年)の建築と分かる。堂内には本尊釈迦三尊像(重文)を安置する。
建築とともに、堂内の壁画も平安時代絵画の稀少な遺品として重要である。


宝珠


重要文化財 鐘楼

袴腰造りの優美な建築。本堂と同時代のもの。
中に吊るされる約1000年前の高麗期の梵鐘も重要文化財である。



重要文化財 常行堂

正確には常行三昧堂という。
常行三昧とは阿弥陀仏の周囲を歩き続けながら念仏を唱えるという天台宗の修行であり、その修行を行なうための専門の堂ということになる。かなり格式のある天台寺院にしか見ることができない


右後方より・・・


重要文化財 護摩堂

三間四面の入母屋造り、本瓦の均整のとれた小堂。
柱上の斗組を省略した簡素な造りである。外部が和様、内部が禅宗様の折衷様式



観音堂

この堂は、江戸時代、宝永二年(1705年)姫路城主の榊原正邦公の寄進によって再建されたものである。構造は入母屋造、本瓦葺、正面一間の向拝付、奥二間が内陣、手前一間が外陣、秘仏聖観世音菩薩、須弥壇右には善光寺如来を祀る



県指定文化財 鶴林寺三重塔

三重塔 - 室町時代。
1976年に放火で内部を焼損したが、1980年に修理が完成している。
三間三重、本瓦、初重は文政年間(1818~1830)の大修理の際、ほとんど新材で補修されてた。二重、三重の軸部および斗栱部、軒廻りは古様をよく伝えている。各部の木割、各重の逓減率、軒反りの形式、三面の鬼瓦などから室町時代の建築と思われる



行者堂‥鳥居、元文四年(1739)と読める

重要文化財 行者堂

応永十三年(1406) 本尊:神変大菩薩(役行者)
正面が春日造り、背面が入母屋造りという小さいが珍しい建物である。
本堂、鐘楼とともに室町時代初期の鶴林寺全盛期に建てられ同じく折衷様式である。
日本には古くから「神」と「仏」とは同体であるという思想があった。
前方の鳥居が示すように、仏教の聖地「鶴林寺」を守護するため「日吉神社」が建てられたのがこのお堂の前身である。しかし、明治以降、絶大な超能力を身につけた山岳信仰のリーダー役行者をまつり「行者堂」となった




・・・仁王門+三重塔のツーショット!・・・

素晴らしい伽藍でした・・・恐らく、また訪れることでしょう・・・
鶴林寺の側に住んでいた、友人曰く、子供のころは、境内は遊び場だったと・・・

大事に護り、後世に引き継ぐ、国の宝です




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